仏教の言葉で、わたしが親しみを感じているものに「無常」がある。
若いころは無常という言葉を僧侶から聞いた時に、「無情」だと勘違いをして理解していた時期があった。
昔、身の回りである事件が起き、その結果に納得がいかなくて悩んでいた時に「一切のものは無常である」(諸行無常)という仏教の教えに接して、心の騒ぎが納まった経験がある。
先日、島根県安来市にある足立美術館を訪ねたとき、ある絵画の解説文に「一生補処(いっしょうふしょ)」に出会った。
やはり仏教用語で、「一生補処(いっしょうふしょ)」とはただ一度だけ生死につながれ、一生を過ぎれば、次には仏になれる者の意味」とありました。
これを読んで、少しばかり 気持ちが楽になりました。
(引用:山陰中央新報 平成27年11月20日 中村元 慈しみの心N0.19)
略して補処ともいう。次の生涯には仏と成ることができる位。一生を過ぎれば仏の位(仏処)を補うべき地位の意。菩薩の最高位。
弥勒菩薩は、現に兜率天(とそつてん)にあって、釈尊の次に世に出て仏と成られるから「補処の弥勒」といわれる。
浄土真宗では、他力の信心を得た人は、来世には必ず仏と成ることができるから、一生補処といわれ、弥勒と同じといわれる。
また、浄土へ往生して仏果(仏のさとり)を開いた者は、一生補処の菩薩の位に住して、他方の衆生を教化利益するとされる。
(出典:labo.wikidharma.org/index.php/一生補処)

