これは40年以上も前のわたしのビジネスマン時代の話です。
当時のリビアには観光という政策が無かったため、一般のリビア入国は制限されていました。
まずリビア国が発行する招聘状が必要で、日本のリビアを商圏とする商社に入手を依頼しました。
わたしのタスクは、リビア国営空港の安全システムを提案することでした。
成田からイタリア ミラノ空港までJAL、ミラノからリビアのベンガジ空港まで
座席数64席のYS-11に似たリビア航空の小型機でした。
機内でステュワーデスから入国カードが渡され、氏名・入国目的・宿泊ホテル名等を
すべてアラビア語で書くように求められました。
英語でさえ怪しいのに アラビア語はまったくチンプンカンなので パスポートなどを渡して
ステュワーデスに書いてもらい一件落着となりました。
ベンガジ空港に着き、タラップを降りると東洋人はわたし一人なので見分けがついたのか
名前を呼ばれ付いていくと、飛行機に横付けされたジープに乗せられてベンガジ港に面した
国営ホテルに連れていかれました。
昔々、今から40年前にインドのボンベイ(現在はムンバイと地名が変わった)へ出張する機会がありました。
西ドイツに家族で駐在しているとき、休日のドイツ国内や近隣の
若きサラリーマンだった管理人は 年に数回は四国の高松にあった四国営業所へ出張していました。
確か
懐かしい写真を新聞で発見しました。
フランス・パリ・モンマルトルの
身辺整理をしていたら、昭和56年3月1日
インターネットサーフィンをしていたら、世界にある混浴の習慣という記事に出会った。
身辺の整理をしていたところ昭和49年5月1日付の社内報新聞が出てきました。
時々、あのドイツのソーセージを食べたくなる時がある。
26日夜のニュースで、インド・ムンバイで武装集団が高級ホテルや駅を狙った同時テロが発生したと報じた。
わたし達の住む
松下電器産業の中村邦夫会長と会社に関しての興味ある随筆が、新聞に掲載されていたのでその箇所の全文をご紹介する。
スイス・ローザンヌの街中にホテルを確保することは、とても難しい。
スイスの西端にあるレマン湖のほとりのローザンヌで、欧州で最大のある電子機器展が2年毎に開かれていた。ローザンヌはとても美しい街で
昔、昔、出張で行っていたアメリカ ニューヨークでの話。
昔 退職と還暦を祝って、妻と二人で地中海を船でめぐるクルーズに行ったときのこと。
アイスランドはわたしにとっては思いで深い国だ。
久し振りに科学者のセミナーを拝聴する機会があった。
昔 駐在していたドイツ・フランクフルトでの魚釣りの話。
安倍首相がドイツを訪れ、ハイリゲンダム(Heiligendamm)での第33回主要国首脳会議(サミット)に出席されている。
中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相が来日された。
今を去る27年間前のこと。
30代前半の頃、新製品の市場調査を目的にしたアメリカ出張の話があった。
中国 四川省にサービス拠点を開設するための下調べに出張した時の昔の想い出。
狐狸庵(
「第二次世界大戦中の戦時下、乏しい食糧事情の中で日本人は何を食べて糊口をしのいでいたのか?」と、ドイツ駐在中にドイツ人から聞かれた質問である。わたしは、わたしの料理の十八番の一つである『「スイトン」が、日本人が食べていた戦時下の代表的な料理である』と答えて、具体的な調理法を彼に教えた。
ドイツのビールは旨い。くせが無くスーと飲める。ドイツ人が職場のロッカーにビールを置いておき、喉が乾いたら飲むというのも分かる。何故、ドイツのビールが旨いのか?
7月5日の早朝のサッカーワールドカップ(