2022年06月20日

昔のインドの想い出

インド航空400昔々、今から40年前にインドのボンベイ(現在はムンバイと地名が変わった)へ出張する機会がありました。

目的は インドのナショナルフラッグのインド航空AIR  INDIA)へ 

パイロット訓練装置(フライトシミュレーター)の特殊な高精細ディスプレイ装置のセールスプロモーションでした。

ボンベイの空港からダウンタウンへ向かうタクシーの中で 

運転手がうっそうと茂った小山を指さし「何の山か、分かるか?」と聞いてきた。

分からない」と答えると、運転手は「鳥葬(ちょうそう)の山だ!」と教えてくれた。

身分の高いゾロアスター教徒の葬儀で、その当時も行われているという。

確かに山の上を 巨大なハゲワシが旋廻しているのを目撃しました。

鳥葬はチベット族でも行われており、中国チベット族にもまだ残っているそうです。

(遺体を流す川がない、遺体を燃やす樹木がないチベットならではの 遺体処理術?)

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2022年04月25日

懐かしい鳩時計

はと330西ドイツに家族で駐在しているとき、休日のドイツ国内や近隣の

オランダやベルギー、フランスへ車で旅行していました。

ドイツ南西部の美しい森の街々を巡っているときに 鳩時計に出会いました。

時が来ると鳩が窓を開けて顔を出し、そのあとすぐに子どもたちが

オルゴールのメロディーに合わせて踊りだします。

そして庭の木こりが斧を振り上げて、木を切り始めます。

それらの動力は電池でなく重りです。

30年以上前の駐在員時代に購入した鳩時計は 部屋に飾っていましたが 

動かなくなってしまい、日本橋にある鳩時計専門店 (株)森の時計に修理を依頼しました。

店のオーナーは古いドイツ製のわたしの鳩時計を見て、

30年以上の物であってもドイツのメーカーは部品を保存しており

現地から取り寄せてメカ部を交換して修理可能ということでした。

ドイツメーカーの品質保証・アフターサービス精神には 驚きます。

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2022年04月22日

宇高連絡船の さぬきうどん

うどんタイトル350若きサラリーマンだった管理人は 年に数回は四国の高松にあった四国営業所へ出張していました。

東京駅から博多行きの寝台特急に乗り 岡山駅で宇野線に乗り換えて国鉄の終点宇野駅下車、

国鉄宇野駅から瀬戸内海を挟んで21km先の四国旅客鉄道の高松駅まで『宇高連絡船』に乗って四国入りしました。

<明治43年(1990年)から平成3年(1991年)までの81年間運用されていた>

本社勤務だった管理人は 四国管内の受注予算会議や営業マンへの新製品の製品説明、

受注活動のために営業に同行し顧客へのシステム・製品説明のための出張でした。

その出張の楽しみの一つが『宇高連絡船』のデッキにあった「さぬきうどん」の売店で 

潮風に吹かれながら立ち食いで食べるうどんの美味しさだったのです。

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2022年02月16日

初めてのアメリカ出張の想い出

飛行機300確か30歳の主任の時、アメリカ出張の話が舞い込みましだ。

役員室に呼ばれて「今回、アメリカに新製品の拡販のため 行かれるか?

工場では50代の部長を考えているが 年寄りよりも将来性のある若い君を考えている」と問われ、

即、「行きます。任せてください」と即答して 出張の許可が下りました。

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2022年02月13日

懐かしいアイスランド

間欠泉350懐かしい写真を新聞で発見しました。

北ヨーロッパの北大西洋上 イギリスの上に位置する島国のアイスランドの屋外巨大温泉の写真でした。

管理人はドイツに駐在時に アイスランドの代理店から放送用TVカメラのデモ依頼を受け、

単身で3回ほど訪問しました。

フランクフルトからアイスランド航空で 首都レイキャビックの空港に到着。

都心から離れている空港から車で移動するときに目にしたのは 

荒涼とした石がゴロゴロした月世界のような風景で、火山国に来たという実感が浮かびました。

レイキャビックで宿泊したホテルは「サガ」と発音する日本の佐賀県と同じ名前で 

代理店の人は 「サガ」と言う名前を日本人は懐かしむだろうと話しました。

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2016年06月02日

中国・四川省の名物料理の想い出

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現役時代、パンダ中国・四川省にサービス拠点を設立することになり、その下準備のために単独で四川省へ出張したことがありました。
北京空港から中国の国内航空に乗り換えて、四川省成都に入りました。
管理人は、仕事の記憶よりその地で食べた料理・食事の記憶が鮮やかに残っています。
その日も現地企業幹部との打ち合わせを終え、四川省街中の比較的大きな食堂で食事の接待を受け、円卓を囲みました。 
メイン料理は 四川省が発祥の地とも言われる名物の「火鍋」。

  (参考:フグ中毒(韓国出張の想い出))

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2016年05月13日

客引きとの駆け引き・いたずらの思い出

フランス国旗フランス・パリ・モンマルトルのキャバレームーランルージュについての思い出に触れたが、もうひとつ面白い思い出がある。

それは客引きとの駆け引きだ。

ムーランルージュを出て、深夜のモンマルトルを歩いていると、多くの客引きが声をかけてくる。

ムーランルージュの司会者のごとく、多国の言葉を操り、声をかけてくる。

さすが世界の観光地パリの客引きも国際的である。

通り掛かった人の風袋を見て、どこの国の人か?何語を理解するか?を瞬時に見分けて 声をかけてくるのである。

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2016年05月12日

モンマルトル ムーランルージュの思い出

フランス国旗日経新聞5月4日の朝刊を見ていたら、「ルノアール特集 モンマルトル」の記事があった。
そこには懐かしいパリの思い出をほうふつさせる写真と記事があった。

フランス・パリのモンマルトルにある有名なキャバレー ムーラン・ルージュ(Moulin Rouge)

誕生が1889年というから120年近い歴史を持つ由緒あるキャバレー。

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2013年01月18日

参鶏湯(サムケタン)…韓国・ソウルでの思い出

777[1]身辺整理をしていたら、昭和56年3月1日(1958年)の社内報にわたしが寄稿した「参鶏湯(サムケタン)」というタイトルの記事が出てきました。

当時は国内の景気が良くなく海外に広く販路を求めて、製品の営業技術を担当していたわたしは海外出張をたびたび行っていました。

仕事を終えて一人ソウルの街を歩いていると、街角の電信柱に「参鶏湯」と漢字で書かれた看板をよく目にしていました。

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2012年07月29日

インシャーアラー(アラーの神のおぼしめしあれ)!

砂漠
身辺整理をしていたら、昭和55年3月1日(1980年)の社内報にわたしが寄稿した「インシャーアラー」というタイトルの記事が出てきました。

今から32年前の社内報に書いた記事で懐かしく思い、ここに転載します。

カダフィが統治していたリビヤ出張記で、コーランが生活の規範となっている 日本とは全く異なる習慣を持つ国。

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2012年06月05日

混浴(ドイツでのサウナ)のお話

心配1インターネットサーフィンをしていたら、世界にある混浴の習慣という記事に出会った。

記述の中にわたしが駐在していた『ドイツのサウナ』に触れていたので、この思い出を記したい。

東京の北緯はおよそ35度、稚内が46度なのに対し、ドイツの北緯は50度以上でソ連のサハリンや樺太に相当し、冬はとても長く日照時間も少なく寒い国。

寒くて長い冬の間、屋外でのスポーツはスキーなどに限られるため、ドイツの多くの街では室内プールとサウナなどの施設が充実しており、市民はそこで水泳で体をほぐしサウナでリラックスした生活を送っている。

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2011年02月22日

リビアへの入出国手続き

砂漠

チュニジアに端を発した民主化デモが、中東各地に波及している。

この数日はリビアの民主化市民デモの状況がマスコミを賑わしている。

わたしの現役時代の海外出張では、リビアの思い出が最も強烈だ。

カダフィ大佐と年齢が近いこともあり、また強烈な個性を持つリビアは常識とは異なる社会で、何もかも印象的だった。

リビアの出張場所は、デモが伝えられているリビアの第二の都市・ベンガジ

  (リビアの首都トリポリにもベンガジから陸路で数回行った。)
デモで映るベンガジ街の建物を懐かしく思うが、そこで数多くの死傷者が出ていることに心を痛めている。

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2010年03月18日

リビアのカダフィ語録

カダフィ語録1
現役時代に何度か中東のリビアへ出張する機会があった。

当時のリビアに入国するのはとても難しく、リビヤ国が発行する招聘状がなければならなかった。

ビジネスでお世話になったリビアの高官(その後、リビヤの日本大使として赴任された)と雑談している時に

リビアは素晴らしい国だ。特にカダフィ大佐の指導力は、他国の元首も見習うべきだ!」等と話したところ、

本当にあなたはそう思うか?記念にカダフィ大佐の言葉をまとめた「カダフィ語録」をプレゼントしよう。 』と言って、アラビア語で書かれたカダフィ語録を戴いた。

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2010年02月11日

乗馬の想い出

今回は個人的な想い出を語ることをお許しください。

乗馬身辺の整理をしていたところ昭和49年5月1日付の社内報新聞が出てきました。

会社の馬術部部長をしていた当時、わたしが投稿した「八ヶ岳 馬術部春の合宿」に関する記事があったのでここに掲載させて頂きます。

ウマといっても恥ずかしながら馬券を一回も買ったことがなく、いわんや競馬予想のテクニックも知らないが、乗馬は楽しんでいました。

かって町田市図師町に「町田乗馬センター」があり、そこを馬術部の練習場所として純粋に乗馬を楽しんでいました。いまから36年前の想い出です。

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2009年05月15日

ソーセージの思い出

BBQ時々、あのドイツのソーセージを食べたくなる時がある。

なにせドイツでは半径100km以内に、1500種類をこえるくらいのソーセージがあるといわれるくらいソーセージ作りが盛んで国民に愛されている食べ物だ。

わたしのお気に入りは、肉を食べている感覚の歯ごたえがある肉と、野性味あふれる独特のスパイスが食欲をそそる「ニュルンベルガー・ソーセージ」。

長さが10cm弱と短く、白っぽいソーセージ。

このソーセージを食べるために本拠地のドイツ・ニュルンベルクへたびたび足を運んだ。

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2008年12月25日

「クリスマス キャロル」壁飾り

クリスマス キャロル1mかってドイツに駐在中に秘書の独人女性から、『ヨーロッパ駐在の記念に毎年予約限定販売されるデンマークのローゼンタール社製「クリスマス キャロル」壁飾り皿 (Rosenthal China) (年号入り)を記念に買ったらいかがですか!』と勧められた。

 

何の予備知識もなかったので、勧められるままに毎年予約を入れて購入した。

 

20年前以上の年号が記載された「クリスマス キャロル」壁飾り皿(直径28cm)が、我が家に5枚ある。(写真をクリックして拡大してご覧ください。)

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2008年11月28日

インド・ムンバイのテロ

インド黄金寺院26日夜のニュースで、インド・ムンバイで武装集団が高級ホテルや駅を狙った同時テロが発生したと報じた。

27日になっても、テロリストは人質を取ってホテルに籠城し、散発的な銃撃戦が続いていると報じている。

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2008年09月17日

蛇腹式カメラ(スプリングカメラ):クラシックカメラ 1

渋い面構え1西ドイツに駐在していた現役時代に、ドイツ人の友人に誘われてヨーロッパ、とりわけドイツ製のクラシックカメラを収集していた。

 

デジカメ全盛時代の今は、日本メーカーのカメラが世界を席捲しているが今から100年前、19世紀後半・20世紀はじめはメカニカル式カメラが主流で、ドイツ製のカメラがその中心だった。

 

その後、日本メーカーが電気式露出計を発明して、ドイツから日本にカメラの主流が移ってきたが。

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2008年06月01日

韓国ソウル市「犬肉販売」容認へ

仲良く食事わたし達の住む麻生区よりもっと寒さが厳しい、厳冬期韓国ソウルの下町を歩いていると、「補身湯」という看板が目に付く。かって現役サラリーマン当時、ソウルへ長期間出張で訪れていたわたしは、『その看板の近くに、補身湯公衆浴場でもあるのか』と考えていた。

ある日韓国代理店の社長に「補身湯』という看板を指差して意味を問うと、「ぽしんたん」と言って犬の肉を使った体が温まるスープのことだと教えてくれた。昼飯時だったので、「食べるか」と聞かれたが、日本人の感情から考えて犬の肉を平常時のその時に食べる気にはならず、お断りした。

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2008年05月18日

偉い人の行動と考え

会議中松下電器産業の中村邦夫会長と会社に関しての興味ある随筆が、新聞に掲載されていたのでその箇所の全文をご紹介する。

 

       (日本経済新聞 朝刊 平成20年1月13日 セカンドステージ欄)

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2008年03月25日

あるトップセールス

ビジネスマン現役時代の話。

(その1)

スイスとフランスの国境に挟まれた世界で有数の風光明媚なレマン湖

湖のスイス側にあるモントルーで隔年に開催される国際見本市に、セールスエンジニアとして製品の説明・売込みのため出張していた。そこへ一人でポツンと白髪の日本人紳士がわたしの担当していた製品の前に現れた。

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2008年03月22日

スイスで3分のゆで卵

ヨーデルスイス・ローザンヌの街中にホテルを確保することは、とても難しい。

ましてやヨーロッパ中の電子機器関連のメーカー・ユーザーが集結する展示会シーズンは、絶望的だ。欧州の会社は、聞くところによれば2年毎の展示会のために、ホテルの部屋を永久予約する契約になっている由。

東洋の田舎会社が勇んでローザンヌに行き、展示会会期中の部屋の申し込みをしても「booked!」と言われて断られるのが落ちである。よしんば取れても宿代は高い。

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2008年03月19日

スイスで展示会

昔、swissスイスの西端にあるレマン湖のほとりのローザンヌで、欧州で最大のある電子機器展が2年毎に開かれていた。ローザンヌはとても美しい街でアルプスと湖が織り成す風景の美しさは、古くから多くの芸術家や王侯貴族たちを魅了してきた。たしかオリンピックIOCの本部がある街でもある。ローザンヌの隣町ヴェヴェイにはあのネスカフェの本社もある。

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2007年12月18日

ひそひそ話

ニューヨーク昔、昔、出張で行っていたアメリカ ニューヨークでの話。

ニューヨーク駐在の若い同僚と、顧客訪問をするためにニューヨーク地下鉄に乗っていた。アメリカの地下鉄のドア際に立っていたわたし達は、周囲に日本人らしき人がいないので気が緩み、日本語で他愛ないひそひそ話をしていた。地下鉄の騒音もあるので、声はひそひそ話といっても比較的大きな声だった。

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2007年11月29日

地中海クルーズの思い出

イタリア国旗昔 退職と還暦を祝って、妻と二人で地中海を船でめぐるクルーズに行ったときのこと。イタリアの新造豪華客船 MSCオペラ号(58,600トン、乗客2,150名、878室、全長251m)という巨大な客船に乗った。 

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2007年10月23日

ワシントン条約と鹿の角

部屋の角

 

日本では、土曜丑の日に暑さ負けしないようにウナギを食べる習慣がある。

ところが今年のマスコミに依れば、『来年以降はウナギの値段が上がり食べられなくなるかもしれない』と報じている。

理由は、ウナギの稚魚の輸出国であるヨーロッパが、ウナギの絶滅を危惧して稚魚の国際取引を制限すると、ワシントン条約に基づいてこの6月に決めたからだ。

 

ワシントン条約という言葉は聞いていた。わたしもワシントン条約にかかわったことがある。

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2007年08月25日

アイスランド 夢の島

飛行機アイスランドはわたしにとっては思いで深い国だ。

出張で3回行ったことがあるが、ノールウエイの海賊が開いた国と言うことで大柄の人が多くかつ美人の女性が多い国だったという印象が強い。(イギリスの西隣にあるアイルランドではない。)

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2007年08月07日

恵比須としてのクジラ

浴衣久し振りに科学者のセミナーを拝聴する機会があった。

恵比須としてのクジラ」というタイトルで(財)日本鯨類研究所顧問 大隈 清治氏の講話だ。かっての日本は捕鯨大国だったが、今は行きすぎていると私は思うクジラ保護活動により、日本は調査捕鯨しか認められていない。子供のころは固くて歯で切れないようなクジラの肉を食べる機会があったが今は貴重な珍味・食材となった。

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2007年07月12日

音楽付お料理

レストラン

ドイツ人と田舎へ出張して泊まったペンションのレストランで、ドイツ人がわたしに

これを食べないか! XXX mit musik(XXX with music)と書かれたカルテ(ドイツではメニューのこと)を見せた。音楽付お料理と書かれている。

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2007年06月30日

ドイツでの川魚釣り

魚釣り昔 駐在していたドイツ・フランクフルトでの魚釣の話。

現地で取引のあった日本人がよく釣りの話をするので、同行したいというと、ドイツで魚釣りをするにはドイツ政府が発行した「魚釣り免許証」がなければならないという。

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2007年06月07日

日章旗に飾られた独・ライン川

ドイツ国旗安倍首相がドイツを訪れ、ハイリゲンダム(Heiligendamm)での第33回主要国首脳会議(サミット)に出席されている。

さてドイツ駐在員当時、日本から視察に訪れた会社幹部の接待で、ドイツを流れる大河「ライン川下り」をした。時は鳥が鳴き、花が咲き、風薫る5月初旬の爽やかな午前中。ライン下り観光船前部のデッキの上で、ドイツビールを飲みながらドイツ民謡に耳を傾けてご機嫌な幹部だった。

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2007年05月22日

素敵な言葉!と麻婆豆腐

well done!日本経済新聞 夕刊 1面 “あすへの話題”に 棋士 小川 誠子さんの「成都の素敵な女性」というコラムが掲載されていた。素敵な文章だったので、ご紹介したい。(平成19年4月16日)

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2007年05月20日

マロニエの花が咲く区役所通り

マロニエ

この時期になると麻生区総合庁舎前の通りに植栽されている
ベニバナトチノキ」(紅花栃の木)が独特の花をつけている。

 

あまり見かけない樹木の花だ。

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2007年05月08日

ムーラン・ルージュのフレンチ・カンカン

フランス国旗

フランスの大統領選挙では、市場・競争原理を重視する自由主義経済路線を取る親英米派のサルコジ氏52歳)が勝利を勝ち取った。  そこで、パリの思い出話を。

フランス・パリのモンマルトルにある有名なキャバレー ムーラン・ルージュ(Moulin Rouge)

誕生が1889年というから120年近い歴史を持つ由緒あるキャバレー。

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2007年04月12日

かあさんの歌と草原情歌

中国国旗中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相が来日された。

色々な見方があるだろうが、わたしは中国の国と雰囲気が好きだ。格好をつけずに、ズック靴を履いて錆びた自転車で中国国内を旅行したい。背広やネクタイ、食事のマナーが必要な国はもう結構だ。

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2007年03月30日

鐘と共に去りぬ

ビジネスマンアメリカのアトランタを舞台にした有名な時代長編小説に『と共に去りぬ』(原題"Gone With the Wind")がある。マーガレット・ミッチェルの作品でスカーレット・オハラという女性の半生を描いたもの。

わたしのサラリーマン時代は、と共に去りぬ(Gone With the Bell)で過ごした。

即ち無用な残業は一切せず、原則定時で退社。夕食は自宅で家族と共にとるというもの。

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2007年03月23日

ふぐ中毒(韓国)

韓国今を去る27年間前のこと。

韓国の国営放送局KBCへ、放送機器を売り込むべく出張していた時の話。

商談を終え、顧客幹部とソウルの代理店担当部長と昼食を一緒にとることになり、季節は冬だったので放送局の人がよく行くふぐ専門の料理店へ行った。

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2007年03月01日

初めての海外出張の思い出

飛行機30代前半の頃、新製品の市場調査を目的にしたアメリカ出張の話があった。

専務室に呼ばれ「君を推薦したいが英語は出来るか?」と聞かれ、若さのなせる業で「出来ます。」と答えて、アメリカ出張が決まった。工場からは50代の設計部長が候補に上がっていたが、専務の「これからは若い人に海外の経験を積ませたい。」という意向により決まった。

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2007年02月19日

電車線路内事故

心配今から11年前、平成八年の初夏のJR横浜線町田駅で、実際に出会った事故の話。

当日わたしは新横浜駅近くのホテルで、ある国家試験がありそれに参加するため、横浜線町田駅のホーム階段下で横浜方面行きの電車を待っていた。
朝の8時過ぎで、小雨が降っていた。
するとわたしの隣に立っていた20歳前後の青年が急に体が震えだして、アッと思ううちにホームから転げ落ちて線路に落下してしまった。
落下しても震えていて自分で立ち上がることが出来ない。

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2007年02月02日

「核で地球滅亡 あと5分」

地球滅亡5分前平成19年1月18日(木)新聞の朝刊には、「核で地球滅亡 あと5分」というセンセーショナルな見出しのアメリカ発の記事が掲載された。ニュースソースを追い、公式に発表された英文記事を入手した。そこで原文をニフティの翻訳サービスにかけたのでご紹介しよう。発表原文は、ブルーで表示し、その下に翻訳文(いっさい手を加えずに、ニフティがオンライン翻訳したもの。明らかに間違った翻訳であることがわかっても、意識的な修正は加えていない)をそのまま掲載した。

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2006年11月10日

海外出張の怖い想い出

砂漠何時までたってもリビアの購買担当者に会えず、いらだちで気持ちが高ぶっていた。ある日、遂に連絡が入り会えることになった。顧客の所までリビアでは数の少ないタクシーで乗りつけた。

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2006年11月07日

リビアの思い出(2)

砂漠リビアで思うように先方のVIPと会うことができなくて、元旦をリビヤ ベンガジ湾に面した国営ホテルで迎えたことがある。大晦日から日付が変わる元旦の0時。湾に停泊している客船・貨物船が一斉に汽笛を鳴らして新年を祝っているのをホテルの窓を開けて聞いた。

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2006年10月24日

リビヤの思い出(1)

砂漠リビヤは、地中海に面した北アフリカの国。隣はエジプトであり、チュニジア、アルジェリア、チャド、ニジェールに囲まれた砂漠の国。

リビアの最高指導者は、ムアマル・アル・カダフィ大佐。1942年9月にリビアの遊牧民カダファ族の1人として生まれた。殆ど歳が違わないので親しみを感じる男の一人だが、残念ながら会ったことは無い。彼のお兄さんには会ったことがあるが、別の機会に書こう。

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2006年10月15日

珍料理(中国・四川省)

中国国旗中国 四川省にサービス拠点を開設するための下調べに出張した時の昔の想い出。

四川省放送局の幹部が、四川料理で接待してくれるということで市内のレストランに案内された。お馴染みの円卓を中国の人と囲んで食事をしていた。メニューはすべてお任せだった。次々に円卓へ料理が運ばれてくる。その都度、幹部がわたしの取皿に料理を取って載せてくれる。

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2006年10月07日

月の砂漠(リビア)

砂漠月の沙漠をはるばると 旅の駱駝(らくだ)がゆきました

金と銀との鞍(くら)置いてふたつ並んでゆきました。」

ロマンチックな歌詞とメロディが、ふと頭に浮かんだ北アフリカリビア砂漠の夜

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2006年09月29日

狐狸庵先生の想い出

夕焼け空狐狸庵(こりあん)先生こと遠藤周作氏が他界してから今年の9月29日で10年とのこと。わたしの青春時代は遠藤氏にゾッコン惚れ込んで、主な著作本は読破したものだ。何が好きといっても、彼の人間性が好きだった。人間誰でも真面目な面と、少し羽目を外す面の二面性があり、それを臆することなく表に出して、人を楽しませるキャラクターが好きだった。

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2006年09月15日

第二次大戦時の食べ物

アニメ料理中「第二次世界大戦中の戦時下、乏しい食糧事情の中で日本人は何を食べて糊口をしのいでいたのか?」と、ドイツ駐在中にドイツ人から聞かれた質問である。わたしは、わたしの料理の十八番の一つである『「スイトン」が、日本人が食べていた戦時下の代表的な料理である』と答えて、具体的な調理法を彼に教えた。

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2006年08月02日

ドイツのビール純粋令

アニメドイツの旗ドイツのビールは旨い。くせが無くスーと飲める。ドイツ人が職場のロッカーにビールを置いておき、喉が乾いたら飲むというのも分かる。何故、ドイツのビールが旨いのか?

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2006年07月06日

ドイツのサッカー熱!

サッカー7月5日の早朝のサッカーワールドカップ(W杯)準決勝試合 ドイツ対イタリア戦を視聴された方も多いと思う。イタリアがドイツを2対0で負かして決勝に進んだ試合だった。欧州の人たちのサッカーに対する熱は、日本人も最近はフィーバーしてきたが予想以上だ。

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