ポルトガルと日本は友好的な関係。
日本とポルトガルの関係は、今から476年前の1543年 ポルトガル人が種子島に漂着し、火縄銃の技術が伝わったことに始まります。
そして6年後の1949年には フランシスコ・ザビエルがキリスト教布教活動で鹿児島に上陸しました。
カステラ、キャラメル、コンペイトウ、かるた、シャボン、パンなどが日常的に日本で使われていますが 語源はポルトガル語。
またポルトガルでは 着物、寿司、うどん、刺身、豆腐などの日本語が使われています。
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ポルトガルと日本は友好的な関係。
日本とポルトガルの関係は、今から476年前の1543年 ポルトガル人が種子島に漂着し、火縄銃の技術が伝わったことに始まります。
そして6年後の1949年には フランシスコ・ザビエルがキリスト教布教活動で鹿児島に上陸しました。
カステラ、キャラメル、コンペイトウ、かるた、シャボン、パンなどが日常的に日本で使われていますが 語源はポルトガル語。
またポルトガルでは 着物、寿司、うどん、刺身、豆腐などの日本語が使われています。
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齢をとると物忘れが激しい。
名前が出てこない、数か月も頭の片隅で名前を思い出そうと働くが 出てこない。
採り入れが済んだ田んぼには、稲を刈り取った稲株が残される。
その稲株から 新しい緑の芽が出てくる。
その芽の名前が知りたいが 思い出せないのだ。
7−8年前に先輩の専業農家の方に 教えていただいたが忘れているのだ。
再び先輩に聞いたが お互いに齢をとり思い出せないという。
だがわたしの頭の片隅に かすかなヒントがチラチラとしている。
深夜にヒントを手掛かりに 広辞苑で調べたら 図星で合っていた。
それは『ひつじ』。
8月28日、今日が旧暦の七夕
『月の舟』(つきのふね)
☆---月を、大空を渡る舟にたとえていう語。また、半ばの月---
織姫と彦星の七夕伝説は、中国から伝わったものです。
それによると、織姫は、天帝の娘。
七夕の日は、織姫の方から、華麗な車に乗り、鵲(かささぎ)が羽を広げてかけてくれた橋を渡って彦星に会いにいくことになっています。
ところが、日本人の感覚では、訪ねていくのは男性の方。
そこで、いつしか七夕伝説も、彦星が、天の川を渡って、織姫のもとに行くというふうに、変化していきました。
旧暦の時代の月は、日付と連動していますから、7月7日の月は、いつも半月。
それを、舟に見立てたのでしょう。
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『風蝉』(ふうぜん)という言葉をご存知ですか?
暦の上で立秋を過ぎた今頃、秋風に吹かれて聞こえる蝉(せみ)の声のことを言います。
管理人が今のはるひ野1丁目にある「宮添みのり公園」のところにあった生家で、
小学生の頃風が吹き抜ける藁ぶき屋根の座敷で昼寝をするのが習慣でした。
その頃は蝉の声に慣れているとは言え、絶え間なくジージー蝉の声が聞こえていました。
蜘蛛の糸で作った蝉を捕まえる自作道具で、あっという間に虫かご一杯の蝉を捕まえることができました。
陽が沈みサラーと夜風が吹き始めるころは、蜩(ヒグラシ)ゼミの合唱が聞こえたものです。
ところが今は、残念ながら蝉の合唱を聞くことがなくなりました。
蝉時雨(せみしぐれ)と言う言葉は、既に死語になっています。
今年に入っても ミンミンゼミもオーシンツクツクと鳴く つくつく法師の声も聞いたことがありません。
続きを読む朝日新聞8月14日の朝刊「声」欄に、印象に残る投稿記事が掲載されていました。
タイトルは『10年前の危機乗り越えた私たち』と題する 静岡にお住まいの54歳の主婦の方が投稿されました。
人間誰しも自我が強く、自分の意見を強調し、妻も含む他人の意見と食い違いがあるとそれに負けまいと
更に我を押し出す傾向にあるのではないかと考えます。
自分がそうです。
しかし世の中は相対的な関係で成り立っており、絶対というのは無いのではないかと思います。
しかも世の中の事象は、今が過去になり、時々刻々と移り変わっていて ひと時も同じ現象を継続してはいないと仏教は説いています。
「諸行無常」です。記事をご覧ください。
続きを読む「自照(じしょう)」と言う言葉をご存知ですか?
これは 自ら光を発するということで、真っ暗な闇の中を、舞い飛ぶホタルのこと。
今から5-60年前の黒川の夏の夜は、まさにホタルが乱舞していました。
黒川にはその当時は街灯が全くなく、夜になると真っ暗で、鶴川街道沿いには三沢川で生まれた
たくさんのホタルが淡い光を放っていました。
その当時 子どもだった管理人は たくさんのホタルを捕まえて、家の中にしつらえられた蚊帳(かや)の中に
ホタルを放って、その光を見ながら眠りについた記憶があります。
今の家庭では 蚊を防ぐ蚊帳を使っている家はないでしょう。
昔の風物詩として、蚊帳とホタルは 忘れられません。
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『寒 蝉』(かんせん)
☆--------------夏から秋にかけて鳴く蝉のこと--------------
七十二候では、「寒蝉」と書いて、「ひぐらし」と読ませていますが、「つくつくぼうし」のことをさす場合もあります。
どちらかというと、ひぐらしの方が、早く鳴き始め、秋を告げるように鳴くのは、つくつくぼうしの方。
が、ひぐらしの声は、「カナカナカナ……」と、いかにも涼しげで、秋らしく聞こえるからでしょう。
とはいえ、つくつくぼうしも、その独特な鳴き声とともに、親しまれてきました。
続きを読む----------------------富士山の異称----------------------
現在、私たちが「芙蓉」と呼んでいる花とは違います。
こちらの「芙蓉」は、蓮に似ていて、木に咲くので、「木芙蓉(もくふよう)」と呼んでいたもの。
いつの間にか、「木」が略されて、「芙蓉」になってしまいました。
さて、悟りの世界を図であらわした根本的な「曼陀羅(まんだら)」のひとつである、胎蔵界曼荼羅。
その中央には、八葉(はちよう)の蓮が描かれます。
続きを読む『雨接待』(あめせったい)
☆--------------------雨に見舞われること--------------------
突然の雨に見舞われたり、雨に降りこめられたりすることを、江戸時代は、『雨接待』といいました。
雨を、一種のおもてなしと受けとめているところが、おもしろいですね。
どちらかというと、皮肉なニュアンスをこめて、使われたようです。
自分にとって、好ましくない対応をされたとき、「ずいぶんなご挨拶だね」というような感じでしょうか。
それでも、天のの手荒な歓迎と思えば、つい、頬笑みがこぼれそうです。
雨が降らなけければ、困るのも、私たち。
続きを読む『濡れぬ雨』(ぬれぬあめ)
-----------------------松風のこと-----------------------
みなさんは、「濡れない雨」と聞いて、どんな雨を想像するでしょうか。
昔の人は、松風の音を聞いて、雨を連想したようです。
〜かげにとて立ちかくるれば から衣
ぬれぬあめふる松の声かな〜 (紀貫之)
ですから、『濡れぬ雨』とは、松風のこと。
続きを読む『割愛』(かつあい)
☆----------惜しいと思うものを、思い切って
省略したり、手放したりすること----------
愛を割(さ)くと書いて、『割愛』。 その字のとおり、もともとは、愛着を断ち切ることでした。
たとえば、仏門に入る場合などに、煩悩を捨て去るという意味でも使われました。
続きを読む ☆--------------------------冬と夜と陰雨--------------------------
「陰雨」とは、しとしとと降り続く雨のことです。
ほとんどの人が、農作業にかかわっていた昔……。
一年の作業を終えて、春を待つ冬は、年の余。
一日、暮れるまで働いて、家で過ごす夜は、日の余。
陰雨に降りこめられて、何も作業ができないひとときは、時の余……。
続きを読む近所のおじさんの家に立ち寄ったところ、庭に美しい“牡丹(ぼたん)”の花が咲き誇っていました。
牡丹の花は古来、日本の美人を例えるのに「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」(たてばしゃくやくすわればぼたんあるくすがたはゆりのはな )という言葉があるほど、美しい花の代表格です。
しかとご覧ください!
庭の“牡丹”の花の隣には、芍薬(しゃくやく)の花が植えられていたが、まだ蕾(つぼみ)で今月末ごろに見ごろになります。
続きを読む☆--------桜が咲いて気候があたたかくなる頃の
眠気がさしてうっとりしている状態-------------
ようやくあたたかくなって、桜が咲き始める頃……。
この時期、眠くて、半ば夢見心地で過ごしている人はいませんか。
昔は、この状態を、『桜どれ』といったようです。
続きを読む☆--------人のいいおやじ、やさしくて気のいい老人--------
この場合の「好」は、好ましい、よい、立派なという意味をあらわす接頭語です。
「好都合」「好景気」「好青年」など、今でもよく使いますね。
ですが、「好」がふたつ重なるのは、『好々爺』と「好々翁(こうこうおう)」だけ。
どちらも同じ意味です。
イメージとして浮かんでくるのは、どこか、ひょうひょうとしていて、それでいて、底抜けにあたたかい笑顔……。
続きを読む ☆------------昆虫・ヒグラシの異称------------
「蜩(ひぐらし)」の鳴き声といえば、「カナカナカナ……」。
それが、そのまま、異称になりました。
「ひぐらし」という名前は、日暮れに鳴くところからついたといいます。
漢字も、「蜩」や「茅蜩」のほかに、「日暮し」とも書きました。
ですが、朝や、曇った日にも鳴いていますね。
木々にこだまするように響く、高く澄んだ鳴き声……。
他の蝉(せみ)とは、ずいぶん、趣の違う声です。
続きを読む ☆------------大勢が歌曲につれて踊ること、またその歌曲------------
もともとは、「おんどう」といい、雅楽で、首席奏者をさす言葉だったそうです。
また、大勢で歌う時ときなどに、まず、先に歌い出して、みんなをリードすることも、『音頭』といいました。
『音頭』を取る人は、「音頭取り」。
転じて、たくさんの人の先頭に立って、物事を行う人という意味でも使いますね。
続きを読む<風俗>
農山村ふるさとでは「おみおつけ」に「ひきわりめし」が常食であった。東(しののめ)の空白む頃、真っ先に聞こえてくるのが「すりこぎ」の音、そしてすきま風にのって漂う味噌の香り、朝晩の食卓には必ずといってよいほど「おみおつけ」が用意された。
屋敷内で栽培された露地ものの小松菜・なす・ねぎ・大根など新鮮な野菜、そして冬場は手の温みもありがたき切干、ひば(大根の葉を干したもの)、たまに油揚げが仲良く味噌汁に煮込まれる。自家製味噌に含まれた大豆、小麦の栄養素、カロリーと 共に栄養満点!
まさにふるさと農山村の老若男女みんなを育てはぐくんだありがたい「おみおつけ」――
幼児たちも訛って「オミヨツケ」と愛嬌をふりまいて吸いついた。
「おみおつけ」は「御御御附」と三重の敬語で呼び交わされ、また「御味御附」とも交わされて味の良さを誇っていた。
“ふるさとの 香りなつかし おみおつけ”
続きを読む『湯湯婆』(ゆたんぽ)
☆----容器の中に湯を入れて、その温度で寝床や足をあたためるもの----
『湯湯婆』は、中世、中国から伝わったものだそうです。
当時は、「湯婆」。
これを、唐音読みで、「たんぽ」といいました。
「湯」は、「湯麺(たんめん)」の読みと同じですね。
続きを読む☆-----------神聖な場所を他の場所と区別するために張る縄-----------
「しめ」は、「占める」からきた言葉で、立ち入り禁止区域の境界線を示すしるしのことです。
昔から、神を祀る神聖な場所と、ほかの場所とは、縄を張って区別してきました。
これが、『注連縄』です。
「標縄」とも書くのは、本来の、「しるし」という意味からでしょう。
ほかに、「七五三縄」とも書きます。
続きを読む☆-------旧暦4、5月ごろに吹く南風--------
古くは、「たかんな」と呼ばれていた「たけのこ」。
その語源は、「竹芽菜(たけめな) 」、「竹(たか)の菜 」ではないかといわれます。
菜とつくところからも、食用とされていたことがわかりますね。
ですが、やはり「竹の子」の方が、わかりやすく、親しまれてきたのでしょう。
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☆---二人またはそれ以上で一つのものを所有すること---
「相相」とも書きます。
雨の日は、一つの傘で、「相合傘」。
これは、今でも使う言葉ですが、昔は、もっといろいろな『相合』が
あったようです。
続きを読む☆----物事が行き違って、ちぐはくになったりすること----
昔は、どの町にも、鍛冶屋(かじや)があって、
「トーン、チーン、カーン……」
と、槌(つち)を打つ音が、響いていたそうですね。
『頓珍漢』は、その音からできた言葉です。
まず、師匠が、「トン」。
弟子たちが、続いて、「チン」「カン」……。
決して、音がぴたりとは、重なりません。
続きを読む☆----------宴会、酒盛り-----------
『宴(うたげ)』は、「打ち上げ」が変化したものだといいます。
そういえば、現代でも、仕事や行事の終了を祝うことを、「打ち上げ」と
いいますね。
でも、この場合は、「打ち」が接頭語。
「上げ」は、終了や、完成という意味で、使われています。
とはいえ、こちらの「打ち上げ」にも、『宴』がつきものですね。
もともと、「打ち上げる」というと、手や楽器をたたいて、音を出すことを
さしたそうです。
続きを読む この名前だけを聞けば、どんな花を想像するでしょうか。
あでやかで、妖艶な花?
いえいえ、最近では、都会の道端でもよく見かける、かわいい花です。
一応、赤い花が咲くというので、この名がついたそうですが、赤というよりも、少し濃いめのピンク。
夕方から咲くので、「夕化粧」ということですが、待ちきれないように、昼間から咲いています。
続きを読む☆------------梅雨明けのころになって降る大雨-------------
梅雨入りに先立ってみられる、ぐずついたお天気は、「迎え梅雨」。
「走り梅雨」ともいいますね。
梅雨の前触れのように、数日降り続くと、また、やみます。
そのあと、本格的な梅雨を迎えるというわけですね。
反対に、梅雨明けのころに降るのが、『送り梅雨』。
こちらは、大雨や雷雨です。
あたかも、梅雨を送り出すように降る雨ということでしょう。
毎年やってくる梅雨。
続きを読む
横綱 白鵬関が、社会福祉法人 春献美会の経営する「はるひ野保育園」へ13日(土)にやって来た。
はるひ野の地に「はるひ野保育園」が昨年の4月に開設されてから満1年を迎え『開設1周年感謝の集い』が開催されて、ビッグなゲストとして横綱 白鵬関が招待されたもの。
続きを読む先に、ドイツ語で相手の発言に同意するときには、日本語で「あ、そう」と言えばスムーズに会話が進むと当ブログで書きました。
12月13日(金)の朝日新聞夕刊 「素粒子」欄に、『新「ア、ソウ」節』と称したコラムがあったのでご紹介します。
☆----すっかり紅葉しきらず、薄く紅葉した程度の木の葉----
秋を彩る、紅葉(もみじ)……。
その進み具合は、気になるものですね。
「紅葉狩」に行って、まだ、色づきが悪いと、がっかりしたり……。
ですが、そんな木々を、昔の人は、『薄紅葉』と呼んで、愛でていたのです。
目にも鮮やかな紅葉ばかりが、いいのではない。
その移りゆく過程にも、趣があるのだということでしょう。
〜花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは〜
(花は、盛りのときのみ、月は、曇りなく輝いているときだけを、見るものだろうか……)
という、吉田兼好の『徒然草』の考え方にも、通じます。
完璧ばかりを求めず、その時々のよさを味わってきたのが、日本人といえるのではないでしょうか。
〜山まつの ふかきみどりを にほひにて
あらはれそむる うすもみぢかな〜 (香川景樹)
「もみじ」の語源は、「揉(も)み出(い)ず」とか。
色を揉み出すようにして、一途に自分の色をあらわそうとしている木々たち……。
そんな姿を、あたたかい眼差しで、見守ってあげたいですね。
引用:夢子 こと 山下 景子
『センスを磨き、幸せを呼ぶ〜夢の言の葉〜』 2007.11.16
(余談:管理人が最も忌み嫌う言葉の一つに『薄毛(うすげ)』があります。)
☆----雨が降って冷え込むこと----
普通、秋の雨は、「秋雨(あきさめ・しゅうう)」。
長雨になると、「秋霖(しゅうりん)」「秋湿り(あきじめり)」
「秋梅雨入・秋黴雨(あきついり)」と呼ばれます。
しとしとと降り続く秋の雨……。
この頃は、ひと雨ごとに、冷え込んでいきますね。
『雨冷え』は、秋の季語です。
続きを読むあるいは、「お釈迦さまの誕生日だ!」と、分かる人は少ないのではないでしょうか?
4月8日は、仏教の開祖であられる『お釈迦さま』、(曹洞宗では「釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)」とお呼びする)がお生まれになった日、即ち誕生日に当たります。
お釈迦さまは産まれたらすぐに、七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん)」と話したと伝えられています。(写真の誕生仏をご覧下さい)
続きを読む-----旧暦3月の異称-------
現代では、まだ、ひと月ほど先ですが、旧暦3月は、桃の盛り。
3月3日の「上巳(じょうし)の節句」を、「桃の節句」と呼ぶのも、ちょうど、桃の花のころだからですね。
続きを読む☆---------雨をたとえていう語。転じて夕立----------
「氷柱(つらら)」のことも、『銀竹』といいます。
光を浴びて輝く「氷柱」が目に浮かぶようで、美しい表現ですね。
もうひとつ、激しく降る大粒の雨も、銀の竹にたとえられました。
続きを読む ☆-----------------------螢(ほたる)の異称-----------------------
闇夜の中でまたたく、小さな螢火。
それを、「星かな?」と疑ったところから、この異称が生まれました。
続きを読む---------期待、喜びなどの強い感情で、胸がどきどきすること---------
現代では、胸の鼓動を、「どきどき」と表現しますね。
ですが昔は、濁らず、「ときとき」と表現しました。
その「とき」に、状態をあらわす接尾語の「めく」がついて、「ときめく」という言葉ができたようです。
続きを読む12月の誕生色は、小雪が舞う季節の藍白色(あいはくしょく)ということになっています。菫(すみれ)は早春に咲く花ですが、返り咲きすることが多く、十二月に花を咲かせることもめずらしくないそうです。
続きを読むやまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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