麻生区黒川の北部に開発の波が押し寄せ、当初は小田急・京王が新線ルートを計画して開発に着手、
その後、日本住宅公団に開発事業がバトンタッチされて、現在の「はるひ野」が、黒川地区に誕生した。
黒川の地名から新しく誕生した「はるひ野」名称が官で正式に使われたのが、平成18年3月13日(2006.03.13)だった。
「はるひ野」という地名がどのようにして生まれたのか?
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麻生区黒川の北部に開発の波が押し寄せ、当初は小田急・京王が新線ルートを計画して開発に着手、
その後、日本住宅公団に開発事業がバトンタッチされて、現在の「はるひ野」が、黒川地区に誕生した。
黒川の地名から新しく誕生した「はるひ野」名称が官で正式に使われたのが、平成18年3月13日(2006.03.13)だった。
「はるひ野」という地名がどのようにして生まれたのか?
純粋の農村地帯であった柿生(かきお)の里。
先祖伝来の農地・田んぼ・山を貧しさの中で 純朴にひたむきに 守って生きてきた先輩たち。
その昔のふるさと 柿生の生活を紹介する郷土誌「柿ふる里」が部数限定で発刊されました。
現代および未来の人たちへ ふるさと黒川の歴史を伝承する貴重な資料として有用な郷土誌です。
セレサモスで1870円(税込み)で販売されています多摩よこやまの道には 昔の住宅公団、多摩市が設置した解説案内板が要所要所に設置されています。
その中の一つに「瓜生黒川往還」があります。
そこには 汁守神社からよこやまの道へ至る一つの道の解説がされています。
黒川の人たちがその道を「海道(かいどう)」と昔から読んでいますが
解説では「海道」を「街道」を意味する字名(あざな)であると記されています。
一方、川崎市が発行した「川崎地名辞典(下)」では
黒川の道である「海道」という字名は「街道」とは無関係であると記されています。
よこやまの道にある「海道」の解説文は多摩市在住の歴史家が起こされたものでありますが
昔のことでありどちらが正しいのか判断が難しい所です。
インターネットに「開業時の小田急多摩線の駅の思い出」という記事を発見!
小田急多摩線の恩恵に与っている管理人は 懐かしく記事を読ませて頂きました。
歳と共に昔の記憶が薄れていく中で、脳の片隅にあった多摩線の昔を偲ばせてくれるものでした。
ここにその記事の全文を転載させていただきます。
平成30年(2018年)の川崎市10大ニュースが 12月21日に発表されました。
市民5765名の応募者が 川崎市の1年を振り返って、投票された結果です。
やはり1位は「川崎フロンターレ Jリーグ2連覇」でした。
2連覇という偉業が いかに川崎市民を誇りに思わせてくれたことの証明です。
残念ながら 麻生区に関連するニュースがありませんでした。
平穏無事な麻生区であったのでしょう! 続きを読む
いつもの多摩よこやまの道を頭の中で『あーでもない』『こーでもない』と雑念にとらわれながら 歩行禅もどきをしながら 歩いていた。
すると昔懐かしい「ほっくりばあさん」が道端で微笑んでいるではないか!
こどものころに春の山に入れば、あちこちに「ほっくりばあさん」が咲いていたが、開発に伴い 乱獲の影響もあって 今は出会うことが少なくなった。
まだまだ黒川の里山にも「ほっくりばあさん」が、黒川の春に 色を添えてくれていてありがたいことだ。
ほっくりばあさんとは、日本に自生する蘭の一種。
ラン科の常緑多年草で「シュンラン」(春蘭)
続きを読むタウンニュースNO.448号『「柿生文化を読む」第56回麻生の寺院 金剛寺(廃寺)・西光寺』に、大変興味深いコラム記事が掲載された。
筆者は、昨年12月5日に亡くなった小島一也氏。
小島先生の地域に関する愛着と知見・情報量は人並み外れたものがあり、先生が平成21年12月に自費出版した「麻生郷土歴史年表」は、わたしの手の届くところに何時もあって手放せない資料となっている。
その小島先生の遺稿であるタウンニュースのコラムによれば、黒川の上(かみ)地区にあった「金剛寺」(廃寺)は、墨仙山と号していて、「墨仙」は黒川(三沢川)を意味する」 という。
また小島先生が著した「麻生郷土歴史年表」33ページのコラムには、『黒川郷(1363年)にふれて「中世、麻生区黒川は、小山田荘黒河と呼んだ。」とある。続けて、「黒川郷の地域は 現町田市一体で、中心は小山田、小野路周辺であった。』と記されている。
http://www.haruhino.com/archives/51790823.html
続きを読むこのブログで、平成17年(2005)12月16日の記事「毘沙門天大堂と金剛寺(廃寺)」で、毘沙門天大堂と黒川(クロカワ)の知名に関して考察しました。
また平成24年(2012)11月12日の記事で、『「黒川」の知名考察』 をアップしました。
管理人と同様な考察をされている記事「風のタイムトリップ 麻生区周辺の歴史と風土を訪ねて 第41回 黒川の里山に佇む毘沙門天が祀られたお堂」(地域情報新聞マイタウン 2014年9月号)が掲載されていました。
黒川の歴史を辿る重要な情報ですので、ここにその記事を転載いたします。
川崎市麻生区の特産品 禅寺丸柿。
今から800年前に王禅寺の山中で発見された日本最古の甘柿禅寺丸柿は、その後の600年間(江戸・明治・大正時代)にわたり地域の人々の生活を支え、人々に甘さを提供する貴重な果実でした。
平成19年には禅寺丸柿が国の登録記念物に指定されました。
昨年麻生区で開催された「禅寺丸柿サミット」で、10月21日を「禅寺丸柿の日」とすることが採択されました。
今年の10月21日を第一回の「禅寺丸柿の日」とし、麻生区役所・麻生観光協会・柿生禅寺丸柿保存会主催の記念イベントが麻生区役所広場で開催されました。
続きを読む川崎市は2月5日、地震被害想定調査の結果を発表した。
想定した地震は、(1)川崎市直下の地震(南関東直下のプレート境界型、M7.3)、(2)南関東地震(大正型関東地震の再来型、相模トラフ、M7.9)、(3)東京湾北部地震(南関東直下のプレート境界型、M7.3)。
想定ケースは、(1)冬の早朝5時(多くの人が自宅で就寝中)、(2)夏の昼12時(日中の社会活動が盛んな時間帯、多くの人が会社や学校など自宅外にいる)、(3)冬の夕方18時(出火危険性の高い時間帯、帰宅等の人口移動時間帯と重なる)。
管理人が関心を持った情報をこのブログに転載する。
一方、黒川地区で心配される立川断層帯が引き起こすことが想定される地震の調査が含まれていないため、これについては別途、東京都や隣接の多摩市や稲城市の予測を参照したい。
(出典は、川崎市のホームページ「川崎市における地震被害想定について」)
続きを読むかってチラッと聞いたことがある興味深い話が、日本経済新聞朝刊(平成24年10月30日)の首都圏欄に掲載されていた。
東京都は23区と多摩地区に分かれている。
その多摩地区はもともと神奈川県だったというのだ。
今から119年前の明治29年(1893年)に現在の多摩地域が、神奈川県から東京府に移管されたという。
続きを読むその「よこやまの道」のルート上にある説明看板に、「黒川はるひ野」に関するものがある。
そこには「黒川(くろかわ)」という名前のルーツに関して説明されているがこれは明らかに事実から程遠いもの、勘違いではないかと管理人は考えている。
いろいろな説があり、村の古老に尋ねることがベストと思いますが、今回は「柿生・岡上組合村誕生100年記念誌 屋号と家紋」という書籍に掲載されている「黒川の地名の由来と歩み」を転載させていただきます。
麻生区黒川の北部に開発の波が押し寄せ、当初は小田急・京王が新線ルートを計画して開発に着手、その後、日本住宅公団に開発事業がバトンタッチされて、現在の「はるひ野」が、黒川地区に誕生した。
黒川の地名から新しく誕生した「はるひ野」名称が官で正式に使われたのが、平成18年3月13日(2006.03.13)だった。
「はるひ野」という地名がどのようにして生まれたのか?
身辺整理をしていたら、昭和58年3月1日(1983年)のタウン誌「マイタウンらぶりぃあさお」が出てきた。
麻生区が誕生したのが昭和57年。今から29年前のタウン誌だ。
そこには「さようなら、黒川分校!百九年の歴史と共に」という記事が掲載されていた。
黒川分校は、平成3年8月1日に「川崎市黒川青少年野外活動センター」として生まれ変わってオープンし、早いもので今年で20周年を迎えた。
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わたし達の街 黒川には なんと柿生発電所という名の水力発電所があり、毎日せっせと電気を起こしているということをご存知ですか?
地球に負荷をかけることもなく、環境に優しい、かつ京都議定書の日本政府の約束事項である二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素等の削減に役立っている可愛らしいミニ発電所です。
場所は、黒川の上(かみ)農業振興地域脇(川崎市麻生区黒川字西谷1544ー2)にあります。
麻生区黒川の北部に開発の波が押し寄せ、当初は小田急・京王が新線ルートを計画して開発に着手、その後、日本住宅公団に開発事業がバトンタッチされて、現在の「はるひ野」が、黒川地区に誕生した。
黒川の地名から新しく誕生した「はるひ野」名称が官で正式に使われたのが、平成18年3月13日(2006.03.13)だった。
「はるひ野」という地名がどのようにして生まれたのか?
続きを読む川崎市で唯一の小学校・中学校合築のはるひ野小中学校。
沖縄を除くすべての都道府県の教育関係者が、また海外からの視察が絶えないはるひ野小中学校。
2008年に開校したはるひ野小中学校には、教育的な配慮がなされた先進的な試みが随所に生かされています。
その一つが学校のトイレ。
自宅のトイレは利用するが学校のトイレを嫌い使わない子どもがいるという例が数多くあるが、はるひ野小中学校はどうなのだろうか?
朝日新聞 5月17日(木)朝刊 学ぶ 育つ欄に「はるひ野小中学校のトイレ」という記事が掲載されていたので転載します。
(参考:もう一つの記事)(はるひ野小中学校関連記事索引)
日本経済新聞 5月10日付夕刊 1面に『大学、農学部耕す』というタイトルの記事が掲載された。
そこには農学部を持つ数少ない日本の私大の一つ、明治大学農学部。
この4月に開場した「明治大学黒川農場」に関する記載があるので、ここに転載した。
(参考:明治大学黒川農場完成披露)
この「ヤブツバキ」は、川崎市の「まちの樹50選」(平成15年4月1日付)の一つとして、選ばれた名誉ある樹木です。
まちの樹は、平成13年(2001年)9月21号の市政だよりで、川崎市の緑の基本計画「かわさき緑の30プラン」に基づき、平成13年度は「新世紀、花と緑のまちづくり推進事業」があり、そのなかで地域のシンボルとなる樹木を選ぶ「まちの樹50選』が企画されて、平成14年4月に選ばれました。
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麻生川沿いの桜並木の桜はまだつぼみだが、四町会(柿生駅前町内会、上麻生東町内会、マイシティ新ゆり町内会、片平町内会)、NPO法人麻生環境会、柿生中央商店街、柿生ナウの共催で、桜まつりは3月23日から4月8日まで開催されている。
平成24年麻生川桜まつりのイベントが、麻生観光協会主催でまつり期間中の4月1日にJAセレサパーシモン敷地を会場にして挙行された。(天候不順で3月31日開催予定が順延された。)
続きを読む川崎市黒川青少年野外活動センターのオリジナルソングができた。
題名は「希望の大地」。
多摩区在住のジャズピアニスト 太田昌宏氏が野外活動センターの自然をイメージしたメロディに、黒川青少年野外活動センターの職員が黒川の思いを作詞して完成させたもの。
3月18日(日)に開催された川崎市黒川青少年野外活動センター主催事業「自然体験フェスティバル」で、披露された。
これからは川崎市黒川青少年野外活動センターを利用する若人達がこの歌を口ずさんで、黒川の自然を思いだしてほしいと願う。
続きを読むいささか旧聞に属するが、麻生区にお住いの外国人に関するデータを、「やまゆりニュース第4号(NPO法人あさお市民活動サポートセンター発行)」から転載いたします。
このようなデータは貴重であり、探すのに苦労しました。
16万人の麻生区に67か国、1953人もの外国人が登録しています。
これによれば麻生区国籍別外国人登録者数で最も多いのは、中国、次いで韓国・朝鮮、フィリピン、アメリカと続きます。
続きを読む平成22年11月に川崎市から禅寺丸柿の普及功績の実績により川崎市社会功労賞を受賞された禅寺丸柿の第一人者で、禅寺丸柿保存会会長を務められた中山氏。
同氏が愛する禅寺丸柿への想いをこめた本「私家版 郷柿誉悠久―柿が生んだ文化―」平成23年1月10日に著された。
先に刊行されている「郷柿誉悠久」の追補版と本人が位置付けている禅寺丸柿に関するプライベートな本であるが、内容は貴重な写真も多く採用されている禅寺丸柿ファンなら手に取りたくなる内容の本。
黒川の上(かみ)に、わたし達が「丸山(まるやま)」と呼ぶ丘陵がある。
子どものころ丸山は、はるか遠い寂しい山の中にあり、怖い話を聞いていたので、一人では近寄ったことはなかった。
その丘陵部に「丸山城」と呼ばれ、中世の通信基地(狼煙(のろし)台が、存在していたと考えられるという。
現在は同地にNTT docomoの中継アンテナ設備があり、現代の通信基地となっている。
小田急グループ発行の機関誌 「ODAKYU VOICE」vol.7号に掲載された小田急沿線散策コースの一つに紹介された『黒川駅コース』をご紹介します。
このコースのサブタイトルは、「里山に囲まれた田園風景との出会いを求めて」です。
黒川の里山は、農家の方たちの生活の場です。むやみに農地には入らないでください。
またゴミを捨てないで、必ず持ち帰ってください。
コースにはトイレットがありませんから、黒川駅で済ましてください。
続きを読む当ブログの新年恒例である黒川の人口と世界の人口を見てみましょう。
黒川地区の現状を見る指数のひとつとして、1年間の人口増加を考えてみましょう。
またお友達との会話や営業の雑談時に、今の世界の人口は68億9千万人、日本は1億2745万人などと言えたら素敵です。
これを見ると明らかに日本の人口が減少に転じていることがわかります。
そうです。
川崎市環境局の「ゴミ収集車」が、メロディーを流してやってきますね。
そこで流されているメロディーが川崎市民の歌「好きです かわさき 愛の街」です。
遠くからあのメロディーが流れてくると、何となく親しみがわくから不思議です。
孫はメロディーが聞こえると必ず、窓から顔を出して、「バイ、バイッ」と挨拶をしています。
続きを読む黒川地区の魅力を伝える企画展「黒川の文化と自然」が、明治大学生田図書館で、11月7日まで開かれている。
企画展は明治大学農学部応用植物生態学研究室 倉本教授が主催しているもので、同研究室は以前から黒川と密接な関係を保っており、黒川を愛する気持ちがこの展示会には溢れている。
枯れ落ち葉の中に目にも鮮やかな赤色のキノコが生えているのに気がついた。
今までに見たことがない、ドイツのメルヘンチックなおとぎ話に登場するようなキノコだった。
秋雨に、落ち葉の中に眠っているキノコ菌が目覚め始めて、よこやまの道が秋のキノコ街道に変わりつつある。
(参考:夏のきのこ街道…よこやまの道)
高温多湿で直射日光があまり入り込まないよこやまの道沿いに、いろいろな種類のキノコが生えている。
多くの写真(iPhone3G使用)を撮ったが、そのうちの16枚をご紹介する。
浅学のわたしは、名前を特定できない。
もし親父が生きていれば、食用キノコの見分け方をじっくりと教えてもらえたが今はいない。
古くから伝えられている 地域に生きるための知恵の伝授が、断絶しており残念だ。
昔の人の生活の知恵の伝授を組織的、継続的に行うにはどうしたらよいだろう!
続きを読む明治大学農学部と川崎市が協力して、かわさき多摩丘陵の生物多様性の保全に向けた動植物の調査・研究がおこなわれています。
川崎市の中で最も多くの自然が残されている黒川の上地区(かみちく)。
稲城市を通り多摩川にそそぐ1級河川 三沢川の源流もここにあります。
そこの開発が行われていない川崎市特別緑地保全地区のなかで、範囲を限定して調査・研究が行われているもので、明治大学農学部 応用植物生態学研究室の倉本 宣教授を中心とするグループが担当しています。
麻生市民交流館 やまゆり が開館して今年の4月で満3周年を迎えた。
その記念事業として、昨年の12月に自費出版の形で発表された「麻生郷土誌歴史年表」の著者 小島 一也先生の『「麻生郷土誌歴史年表」を上梓して』と言う演題の記念講演が4月10日、やまゆりで行われた。
当日は早々と予約定員が一杯になるほどの人気で、2階の会議室は満員の盛況だった。
続きを読む
むかし下黒川(しもくろかわ)には、六地蔵さまがお立ちになっていたそうです。
黒川の開発に伴い、かってあった六地蔵さまは移転を余儀なくされて、今は梅澤 馨さんの屋敷に設けられた安置場所にひっそりと立っておられ、歴史的な像として大切に保存されています。
これは、明治13年(1880年)に建立されたとのことです。
続きを読む「栗木―明日へ語り継ぐ―」というタイトルの栗木の街の歴史と変遷を含めた記念誌が3月に発行された。(非販売品)
発行は栗木町内会・栗木第二土地管理組合。
記念誌は 第一章 栗木の歴史と変遷、第二章 暮らしの中の信仰、第三章 暮らしと文化、第四章 変わりゆく町、第五章 栗木町内会と地域活動、第六章 思い出を語る の六章からなる。
総ページ数220ページ、堅牢な装丁本で、カラー写真を含む歴史的でかつ貴重な写真をたくさん含むとても素晴らしい出来上がりで、後世に貴重なデータを残す記念誌。
栗木には、大正時代初期から伝えられている「粉屋踊り」という民族芸能があったことが知られているが、それに関する詳細な記述もある。
昨年(平成20年)の4月1日から始まった「ミックスペーパー(雑かみ) 」のモデル収集。
川崎市の黒川地区(黒川・はるひ野)が平成20年度からモデル地区になり、環境に配慮した街づくり事業の一環として「ミックスペーパー(雑かみ)」の収集が行われている。 (左パンフレット:クリックで拡大可)
このほど川崎市環境局多摩生活環境事業所主催で、黒川町内会・はるひ野町内会の希望者を対象にした「ミックスペーパーモデル収集に伴う施設見学会」があり参加した。
続きを読む日本で初めて見つけられた甘柿の禅寺丸柿は、麻生区の特産品。麻生区にある王禅寺の境内にその原木がある。
その禅寺丸柿を使った「禅寺丸柿ワイン」の新酒ができたと、朝日新聞 田園都市版(2009年1月7日)で報じている。
近隣の町でも禅寺丸を材料にしたワインが造られているが、JAセレサが売り出しているものは本家本元の麻生区産の禅寺丸柿を使った本物ワイン。
黒川にあるファーマーズマーケット「セレサモス」(大型農産物直売所)でも売られているので、是非、ご試飲くだされ!
明治大学農学部が黒川上(かみ)地区に計画中の農場に関する説明会が、11月28日(金)、29日(土)に黒川公会堂で行われた。
「明治大学農学部黒川新農場(仮称)整備計画に係る条例環境影響評価準備書」についての説明会。
当日は、大学農学部、調達部などの関係者が出席され、配布された「評価準備書のあらまし」の資料とプロジェクターを用いたスクリーンで、12項目にわたる評価結果の説明がなされた。
続きを読む川崎市立はるひ野小中学校の新しい校歌が、11月22日の開校記念式典で披露されました。小学校と中学校が合築で一つ屋根の下にあるので、校歌も一つです。
開校記念式典で配布された資料の一つに、開校記念誌があり、その表紙タイトルが「The Blue Sky 輝くはるひ野」でした。
披露された校歌の歌詞の中に、開校記念誌の表紙タイトルである「The Blue Sky 輝くはるひ野」が織り込まれていました。
続きを読むはるひ野小学校・中学校が、平成20年10月26日(日)付け朝日新聞 朝刊(全国版) がっこう探検隊で大きく紹介されました。
新聞で紹介されてからは、全国の教育関係者から問合せや視察の申込みが殺到しているとのことです。
記事の全容を紹介いたします。
今年度から麻生区に功労があった方に対して、麻生区役所では「麻生区地域功労賞」を制定し、その第一回の表彰式が麻生区民祭で挙行され、4人の功労者が太田麻生区長から表彰された。
わたし達の黒川からは、長年にわたって黒川地区の歴史的・時間的な変遷をカメラを通して記録されてきた「立川幸夫(たちかわさちお)氏」が受賞された。
(写真:太田区長から表彰状を授与される立川氏)
続きを読む遥か昔から引き継がれてきた道普請(みちぶしん) (現代用語では、道路清掃、川崎市では美化運動)が、10月5日(日)に実施された。
(道普請とは、鎌倉時代に盛んに使われていた言葉でそれは、道とはみんなでつくり上げるものだという気持ちと、「普く請う(あまねくこう) 」という意味の禅語「普請」がひとつになったもの。)
町内会組織とはまた別の、昔からある黒川の住民組織 講中(こうじゅう) (講とは神仏を祀り、または参詣するために組織する団体のことであり、講中とは講を結んで神仏に詣でる人々(連中))がベースになった班分けで、道普請は実行される。
続きを読む川崎市立はるひ野小中学校(小学校校長 本間 俊氏、中学校校長 渡辺 直樹氏)の「平成20年 第一回スポーツフェスティバル」が、台風一過 秋晴れの9月23日(火・祝)開催された。
最新の校舎・最新の設備を備えた全国でも珍しい公立の小学校・中学校併設校であるはるひ野小中学校では、従来の一般的な運動会という名称でなく、スポーツフェスティバルと銘打った秋の全校児童・生徒を対象にした行事だ。
続きを読むヘクソカズラを知っていますか?
「屁(へ)」は、臭い。(相手によってはかぐわしい香り?)
「糞(くそ)」も臭い。
この「屁(へ)」と「糞(くそ)」の名前を頭にいただき、蔓性ということで、「葛(かずら)」をつけたヘクソカズラ(屁糞葛)というあまりにもひどい名前がついた多年草の雑草。
武蔵野の面影を残していた黒川の山野・田畑を破壊して生まれた はるひ野の住宅地開発。ひっそりと何年もの間 黒川の山にたたずんでいた山桜の巨木を、開発事業に携わっていた当時の住宅公団が最新の樹木移植専用重機(樹高18mに及ぶ山桜を深い根毎移植できる日本に数台しかない専用機と聞く)と工法を駆使し、細心の注意を払って、現在の「宮添みのり公園」のシンボルツリーとして移植した。その黒川地区の遺産である巨木の山桜を維持し護り、次世代に引き継ぐことがわたし達の使命である。川崎市にとっても、麻生区にとっても重要な山桜。
続きを読む黒川地区にはるひ野の街が誕生したことにより、街の年齢別人口構成に大きな変化が生れています。
平成20年3月末の
はるひ野・黒川の最新人口データ(3月末現在)とリンクしていますので併せてご覧下さい。
続きを読む明治21年の黒川・栗木・片平の概況資料が手に入ったのでご紹介します。
当時の
<出典は、「神奈川県都築郡
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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