2018年07月30日

2017年05月26日

黒川・栗木の30年前のガイドブック

oterakane[1]わたしたちの故郷(ふるさと)、麻生区の古(いにしえ)は、古老に伝承されている知識・情報によって知ることが多くあります。

古老たちの経験や体験を織り込んだふるさとの情報は、大変貴重です。
今から32年前に麻生区に住む先輩諸氏たち(麻生区老人クラブ連合会)が、未開の文化財を掘り起こし、文と写真にまとめ自らのふる里探訪を兼ねて
伝承誌を発刊しようと企画し平成元年に『歩け歩こう 麻生の里』が生まれました。

山の小道、谷戸坂、お宮、お寺、路傍の石仏、碑、旧家、古老の話などを 耳で聞き、目で見、ノートに書留める作業6か月続いたそうです。
完成した本は、会員延べ500人の汗の結晶として、麻生区を終生のふる里とする息子や孫たちのために利用してほしいという念願が込められたものです。
管理人は市販されずに限定出版された『歩け歩こう 麻生の里』を大先輩から譲り受けました。 (参考:過去記事 黒川の谷戸と婆々尾根) 
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2015年08月25日

古い新聞記事

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身の回りの整理をしていたら、今から31年前の昭和58年(1983年)の新聞記事切り抜きが出てきた。

メモ書きには、「58.10.14」とだけあり、新聞社名が不明。

小田急多摩線、京王相模原線が開通したのが昭和49年、はるひ野地区の開発に公団が参画し開発の基本計画に地権者総会で了承して環境アセスが始まったころの新聞記事。

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2013年08月19日

麻生観光協会が制作した「黒川のガイド」

観光ガイド200麻生観光協会の観光ガイドが、麻生区内の街々の歴史をたどって訪ね歩く歴史散歩を実施しています。

昨年の11月18日に実行した、観光ガイドによる『旧黒川村の歴史を知ろう』で、参加者に配布した資料が、とてもよくまとまっているので、紛失しないようにインターネットにアップしました。

どうかお時間のある方は、自分たちが住む黒川地区の歴史・史跡等をこの資料で学んでいただければとお勧めします。

後ほどこのブログでご案内いたしますが、来る10月23日()に麻生観光協会のガイドがご案内する『旧黒川村の歴史散歩』が企画されています。

当日は、はるひ野駅集合明大黒川農場見学もコースに含まれていますので、興味のある方は予定をしてください。(詳細は後報)



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2012年12月02日

栗木台小学校創立30周年記念式典

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昭和58年(1983)黒川にあった柿生小学校黒川分校が閉校になったのを受けて、開校した川崎市立栗木台小学校(校長:堀 久男氏)。

黒川に川崎市立はるひ野小中学校が開校した平成20年(2008)までの25年間、黒川地区の児童生徒が通った栗木台小学校が今年の4月に創立30周年を迎えました。
それを記念して12月1日(土)に栗木台小学校で関係者を招いた「創立30周年記念式典・祝賀会」が盛大に催されました。
創立30周年スローガンは 「はじける笑顔 分かち合う心 栗っこパワーで 未来へつなげよう
当日は創立30周年テーマソング 「未来へのバトン」も披露されました。
  (左:創立30周年記念シンボルマーク)

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2012年11月22日

東京・多摩誕生の裏側…日経新聞から

握手かってチラッと聞いたことがある興味深い話が、日本経済新聞朝刊(平成24年10月30日)の首都圏欄に掲載されていた。

東京都は23区と多摩地区に分かれている。

その多摩地区はもともと神奈川県だったというのだ。

今から119年前の明治29年(1893年)に現在の多摩地域が、神奈川県から東京府に移管されたという。

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2012年09月12日

さようなら、黒川分校!…古新聞から

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身辺整理をしていたら、昭和58年3月1日(1983年)のタウン誌「マイタウンらぶりぃあさお」が出てきた。

麻生区が誕生したのが昭和57年。今から29年前のタウン誌だ。

そこには「さようなら、黒川分校!百九年の歴史と共に」という記事が掲載されていた。

黒川分校は、平成3年8月1日に「川崎市黒川青少年野外活動センター」として生まれ変わってオープンし、早いもので今年で20周年を迎えた。

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2012年03月22日

明治大学黒川農場完成披露

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黒川上地区に鋭意建設中であった 明治大学130周年記念事業「明治大学黒川農場が竣工し、4月からの開講に向けて関係者への披露が3月21日()に行われた。

黒川でささやかながらも農業を行っているぐうたら百姓の管理人は、大学の農学部が中心になって創られた新農場を興味深く視察させていただいた。

環境・自然・地域の3つの共生コンセプトのもとに、太陽光や風力などの自然エネルギーを利用した資源循環型の生産方式を導入。

地域住民・市民らを対象にした農業研修も企画され、未来型のアグリエコファームを目指す農場が完成した。

川崎市では黒川上地区を農業公園構想に位置付けており、農協の大型農産物直売所「セレサモス」との連携により、地域農業の振興・発展、また貴重な里山の自然環境維持が期待されている。

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2011年05月17日

関東大震災と柿生・岡上…柿生文化

地震?川崎市立柿生中学校内に創設された「柿生郷土資料館」が、「郷土資料友の会」会員向け発行している機関誌『柿生文化』がある。

その『柿生文化』第35号(平成23年4月28日)に、『歴史に学ぶ 関東大震災と柿生・岡上…1923年9月1日』という記事がある。

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2009年04月06日

栗木 街の記念誌発行

栗木記念誌表紙「栗木―明日へ語り継ぐ―」というタイトルの栗木の街の歴史と変遷を含めた記念誌が3月に発行された。(非販売品)

発行は栗木町内会・栗木第二土地管理組合

 

記念誌は 第一章 栗木の歴史と変遷、第二章 暮らしの中の信仰、第三章 暮らしと文化、第四章 変わりゆく町、第五章 栗木町内会と地域活動、第六章 思い出を語る の六章からなる。

 

総ページ数220ページ、堅牢な装丁本で、カラー写真を含む歴史的でかつ貴重な写真をたくさん含むとても素晴らしい出来上がりで、後世に貴重なデータを残す記念誌。

 

栗木には、大正時代初期から伝えられている「粉屋踊り」という民族芸能があったことが知られているが、それに関する詳細な記述もある。

  
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2008年07月30日

慶安の御触書

江戸歌舞伎 三味線慶応2年(1649年)三代将軍家光の時代に出された御触書

よくぞまあこんなことが言えたものだ」と感心させられたり、あきれさせられたりする文書。

今から360年前の江戸時代に、農民宛に出された生活上の指針ともいうべき文書です。

わたし達の先祖の生活が偲ばれ、苦々しい気持ちで従わざるを得なかったのかなと思います。

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2008年05月20日

明治21年の黒川の概況

鶴とつき明治21年の黒川・栗木・片平の概況資料が手に入ったのでご紹介します。

当時の黒川村が納めていた国税は、地税:542円98銭、車税:5円、銃猟税:1円とあります。

<出典は、「神奈川県都築郡黒川村地誌」他(明治21年4月)(これは、昭和62年3月発行「麻生区の神社と寺院」(川崎市博物館資料収集委員会編)に掲載されていたデータ。)>

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2006年09月08日

黒川の教育の歴史(5)

戦争が終わり、昭和二十二年四月「学校教育法」の制定によって国民学校は再び小学校となり、名称も「川崎市立柿生小学校」となり、黒川分教場は、「川崎市立柿生小学校 黒川分校」と名称を改めました。

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2006年09月04日

黒川の教育の歴史(4)

明治20年以来、黒川分教場は汁守神社の裏手にあった。大合併の後も黒川の4年以下の児童が授業を行っていた。

大正12年の関東大震災で汁守神社の裏手にあった黒川分教場も大被害を受け、新築移転をせざるを得ない状況になった。

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2006年08月09日

明治時代の黒川の学校に関して

アニメミッキー当ブログの読者の方から、明治時代の学校に関して、興味のあるご指摘・ご教示がありました。それは現在の多摩市連光寺の高西寺にあった向岡学校が、神奈川県管下武蔵国南多摩郡連光寺村という記録があることに、不思議さを感じていました。それに関して、当ブログの7月27日号で、疑問を呈した所、早速黒川にお住まいのHさんから下記のようなご指摘・ご教示がありましたので、ご紹介いたします。

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2006年07月29日

黒川の教育の歴史(3)

*** 汁守神社裏の学校 *** 

明治19年の小学校令により、親に子どもを小学校に通わせる義務を負わせました。そしてこの年から尋常小学校4年、高等小学校4年の修業年限を定めました。義務教育となると学校に通う子どもが多くなり、台の学校では狭くなりました。

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2006年07月27日

明治 黒川村の学校(2)

*** 台の学校 ***

市川宅の「黒川村公立黒川学校」は、明治14年になると黒川村の台(現在の黒川287番地)にあった立川宅へ移ったと考えることができます。

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2006年07月11日

明治時代 黒川村の学校

市川翁の石碑江戸時代の末期から黒川では、市川角左衛門さんという方が自宅で私塾を開き子ども達に読み書きを教えていました。市川角左衛門さんは明治25年〔1892年〕78歳で亡くなりました。当時の黒川の村民と市川塾に通ってきていた近隣の村の教え子たちが市川翁の業績をたたえて石碑を建てました。

 

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2006年05月19日

200年も続いた黒川炭

新編武蔵風土記稿の「黒川村」の項に、「村民農業の暇には、毎年九月より焼き始めて、三月を限りとせり、黒川炭と唱えて、焼くことは等郡(都築郡)または多摩郡にもあり、当村其のもとなるべし、このことはいつの頃より焼きそめしことは伝えざれど、近きことなるにや、」とあります。

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2006年05月14日

黒川の布田道と新撰組

黒川と隣りの町田市真光寺町の境目にある尾根の道は、かって「布田道(ふだみち)」と呼ばれていました。真光寺町や隣りの小野路町(おのじまち)、そして黒川から江戸の向かう時に使われた道で、新撰組の近藤 勇(いさみ)らも通った道です。この道は今なお、一部ではありますが昔の面影を残しています。

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2006年04月29日

江戸時代の農民のくらし(2)

いろいろな規則

鳩のアニメ五人組のこと、切支丹のこと、衣食住のことなど数十ヶ条にわたり、微にいり、細にわたりつくりました。これを下々まで徹底するため、正月・五月・七月・九月・十一月の年四回、村中大小の百姓を集めて、納得のいくように申し聞かせました。そのうちの数ヶ条を記してみます。

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2006年04月28日

江戸時代の農民のくらし(1)

村役人

領主の多くは、江戸住まいのため、直接村の仕事をするのは名主・年寄・百姓代でこれを村方三役といいました。

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2006年04月24日

江戸時代の黒川の領主

書物によれば徳川家康が豊臣秀吉の命令で、三河などの旧領地からはなれ関東に入国したのは、天正18年(1590年)。そして豊臣秀吉がこの世を去ったのが、慶長三年(1598年)のこと。  続きを読む
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2006年04月15日

小田原衆所領役帳

応仁元年(1467年)には「応仁の乱」が起き、今日の京都周辺は焼け野原となり、幕府には何の力も無いことが明らかになります。中世末期の日本は、戦国大名が各地に割拠する戦国時代を迎えます。このころ小田原城の城主となった、北条早雲も、風雲に乗じてのし上がった一人です。 

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2006年03月31日

黒川の領主は、女性だった!

今日は、今からおよそ640年前の黒川は、女性の領地であったという興味深いお話です。二つの資料を参考にします。

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2006年03月23日

鎌倉道

鎌倉道とか鎌倉街道とか呼ばれる道は、関東一円の武士が、「いざ鎌倉馬アニメという時に鎌倉へ馳せ参ずる軍道でした。新田義貞が鎌倉討伐のために通った上ノ道(信濃道)、奥州方面への道として中ノ道、房総・常陸への道としての下ノ道を基本ルートにして、それらにつながる間道、支道、連絡道を含めて鎌倉道と呼んでいます。

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2006年03月15日

黒川村を駆ける武蔵武士

 

 

しばらく休んでいました黒川関連の歴史について触れます。お付き合いください。

 

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源頼朝は、鎌倉に本拠を置き東国の武士団を組織し、わが国最初の武家政権である鎌倉幕府を1192年に開きました。

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2006年02月10日

「多摩よこやまの道」と防人(さきもり)

今日はわたし達の街の散歩コースで「多摩よこやまの道」にまつわる歴史的な背景などのお話をいたします。 

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2006年02月06日

武蔵国と都築郡

7世紀の半ばの645年、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)がクーデターで政治の実権を握り、中国の制度にならい「大化」という元号を定め、政治の基本理念を示しました。

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2005年12月16日

毘沙門大堂と金剛寺(廃寺)

 

赤梅大地元の若い人たちにもあまり知られていない、古い歴史を持つ黒川の毘沙門(びしゃもん)大堂とその近くにあったという 今は無いお寺 金剛寺について、今回は考察いたします。

 

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2005年12月14日

新編武蔵風土記稿巻之八十六 の抜粋

 

ラッパ水仙ふるさとの昔を考察する際に、貴重な文献として避けて通れないものの一つに「新編武蔵風土記稿」があります。今日は、「新編武蔵風土記稿」のなかで、黒川について触れている八十六巻をご紹介いたします。昔の記述を転記したため、原本に100%正確では無いことをお許し下さい。

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Posted by tomato1111 at 23:49

2005年12月09日

黒川村の沿革・歴史

 

太古の時代から近世までの黒川の沿革・歴史について、知って、考え、想像して見ませんか?

とてもわくわくすること請け合いです。

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Posted by tomato1111 at 06:29

2005年11月28日

2万年前の黒川とその生活

今日は、前回に引き続き、はるか昔の2万年前の黒川とその生活について考察いたします。

当時の生活を頭の中に描きながらお付き合い下さい。

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Posted by tomato1111 at 21:51

2005年11月26日

地球と人間の歴史

今日は、宇宙が誕生してから地球が生まれ人類が生れたわけですが、その長さを理解しようと考えます。

46億年前に地球が誕生してから現在までの時間を、1週間の長さに置き換えて考えて見ましょう。

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2005年11月22日

氷河時代の黒川に祖先が住む!

太古のロマンを秘めたわが街 はるひ野・若葉台・黒川

 

地球誕生から現在までのわが街 はるひ野・若葉台・黒川について、文献と講義を参考に考察してみましょう。

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Posted by tomato1111 at 20:45

2005年11月16日

麻生区でカントウ象の化石発見!

今日は私たちが生活しているこのはるひ野・若葉台・黒川の大地の上を、氷河時代には象が恋人ならぬ気の合う仲間の像を求めて、また餌を求めて闊歩していたというお話です。

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