
ここでは計画人口約8400人で開発が進められた
「はるひ野」に関連した町名誕生のいきさつの資料などを示します。

ここでは計画人口約8400人で開発が進められた
「はるひ野」に関連した町名誕生のいきさつの資料などを示します。
これが、平成13年4月に はるひ野地区の土地地権者会の席上で、当時の住宅公団黒川事務所の深津業務課長が、
新町名について公団内部の資料に基づき提案された原案です。
メモ書きにもあるように 公団が開発した地名は 公団で決めていたが
はるひ野に関しては地権者から地名を募集して 協議で地名が決められました。
(管理者のメモ書きが書かれています)
公団では開発した土地を売却しなければならないので 各種の一般向けPRパンフレットを作成し配布していました。

これははるひ野が開発される前の「はるひ野方面を移した黒川の航空写真」です。
ここには我が家が保有していた「おおかめ」、「ぶちや」、「やなぎまち」などと呼ばれていた田畑が映っています。
(クリックすると拡大表示可能)
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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