2025年07月23日

カダフィ大佐時代のリビアとのビジネス

砂漠300

現役時代には 中東の砂漠の国 リビアへ5回ほど出張する機会が在りました。

当時はリビアに観光というジャンルはなく、

入国するためにはリビア国が発行する招聘状が必要な時代でした。

厳格なイスラム教の国でもあります


イタリアのミラノ経由リビアンエアラインで リビアの副首都ベンガジに向かいました。

機内で入国カードを渡され 必要な事項を記入しなければならないのですが、

カードの言語はすべてアラビア語で書かれており、

しかも入国する私の情報もアラビア語で書けというではありませんか!

仕方なくスチュワーデスを呼び、私のパスポートを渡して 記入してもらい一難が去りました。

 

飛行機がベンガジ空港に着陸し機内からタラップを降りて リビアの地を踏んだ時、

私の名前が呼ばれ、私はリビアの入国税関を経ることなく軍のジープに乗せられ、

宿泊先の国営ホテルへ案内されました。

 

国営ホテルはあらかじめ予約をしてありましたが クロークでパスポートを示したところ

御免なさい!あなたの予約は存在しない」と言われ 目の前が真っ暗になりました。

そこであらかじめ用意していたお土産の国産万年筆を渡して 

再度確認を求めたら「おー、部屋があった」とのたまわれて 無事宿泊することができました。

 

何日か経過後 ホテルを出るときにクロークに呼び止められ

申し訳ないが今夜から三日間は、このホテルから出てほしい。

シリアのアサド大統領が急遽 宿泊することになり全館を閉めることになったのが理由。

ほかのホテルは自分で探してほしい」と言うではありませんか。

これは現地のエージェントに頼み 現地人向けのホテルに宿泊しました。

 

ホテル内は英語が使えるので 朝夕の食事時などは気分を安らげることができました。

ある時の朝、私に英語でいろいろ話しかける外人がいました。

私も気を緩めて英語で雑談をしていましたが クロークからわたしが呼ばれて

君の話している人はパキスタンのスパイ容疑がかかっている人物なので その人との接触はやめたほうが良い」とアドバイスを受けました。

それ以来 気安く英語で話しかけられても 私は無視をし続けました。

怖い国です。

 

昼は相手先の事務所で商談をし、夜は現地のエージェント宅で寛いでいると 

そこに昼の商談相手が秘書を連れて現れて

昼の商談が制約したら私へのコミッションをスイスにある銀行の私の口座に振り込んで欲しい

という要求がなされました。

発展途上国の大きなビジネスには このようなことがつきものなのかと考えさせられました。

 

この国での約束事は いつも変って滞在していても困ることが多かったです。

例えば次回の打ち合わせの日時を決めて約束していても 相手が現れないことが度々ありました。

理由を聞くと アラビア語で「インシャアッラー・・」とのたまわれることが多い。

その理由は「アラブの神の思し召しで変更になった、申し訳ない

とすべてを神のみが知る、神が望むなら とすり替えられてしまうのです。

その予定を果たすつもりでいるけど、絶対とは言い切れない。天気が悪かったら来られないかもしれない。

家族の体調が悪くなったら来られないかもしれない。

でも、神が望むことであれば、その約束は果たせられるだろう。」
という気持ちが、含まれているのです。

こんな調子で ビジネスの進行が予定通り進まず 帰国日程が組めないという悩みがありました。

 

トイレに入ると紙は用意されていないことが多く、1mくらいの水道のホースがあって 

それで水を流しながら左手でお尻を洗う習慣です。すなわち左手は不浄の手です。

現地人とこの話題になったとき アラブ人の尻は水で洗い清められているが 

紙で拭くシステムでは毛の間にわずかに汚物が残り不衛生だと指摘されてしましました。

 

トイレ500














この実情を経験した私の二回目以降のリビア出張のスーツケースには 

隙間一杯のロール型トイレットペーパーで埋め尽くされました。

 

副首都のベンガジから首都のトリポリに移動する機会がありました。

距離は約1000km、砂漠の中を車で移動するのですが 

日中は暑いので日が沈んだ夕方から夜間に移動しました。

まさに月の砂漠の歌を思い出す風景でした。

途中、尿意をもよおして 車を止めてもらい下車して道路わきの砂漠に中に入って済まそうとしたら

砂漠の中は毒サソリが多くいるので危険だから入るな!車のライトで照らしている道路の真ん中で済ませろ!

と強力な指摘を受けました。


愉快な話は まだたくさんあります。


Posted by tomato1111 at 00:00