無常の世の中、健康寿命に幕が下り、あとは運命に任せる寿命の期間に入った管理人。
終活の意味を込めて 退職した後で受賞した表彰状を改めてここにまとめてみました。
<1>黒川で生まれ育った管理人は 一生のうちに一度は故郷黒川に貢献したいと考えて 町内会役員から民生委員児童委員のお役を引き受けました。
5期15年を務めあげ、国の民生委員定年基準により辞職するまで、ささやかですが黒川の福祉に貢献できたのではないかと考えています。
時の厚生労働大臣 加藤勝信氏からの表彰状
川崎市長 福田紀彦氏からの表彰状
<2>個人事業での所得税申告を自分で行おうと「川崎西青色申告会」で総務企画委員長を歴任。
個人事業のみならず法人の事業申告に関しても年間の経費処理を自分で担当処理していました。
「川崎西青色申告会」の活動の一環で、納税時期には川崎西税務署内に設けられた一般の方の
申告業務の相談・お手伝いを5年間行ったため
川崎西税務署管内で数人のみの表彰状授与を受けました。
ほかに川崎西税務署から 感謝状も授与されています。
<3>日本国民の精神的なバックボーンである神社。
管理人は 黒川の汁守神社の氏子ですが 組役員として年間行事のサポート役に 現在も従事しています。
我が家では神棚に日本の祖 天照大御神を中心に 右側には黒川の氏神様 汁守神社を奉ります。
そして左側には崇拝している明治神宮のお札をお祭りしています。
特に明治神宮は麻生区で組織されていた「明治神宮川崎麻生支部」の副支部長として永年活動してきました。
当時の明治神宮宮司・崇敬会名誉会長であられた中島精太郎宮司と
商工会議所会頭・経団連副会長を歴任された三村明夫氏連名で 明治神宮崇敬会から表彰状を授与いたしました
<4>日本赤十字社神奈川県支部からの表彰状
当時の神奈川県支部長は 当時の神奈川県知事であられた松沢成文氏でした。
<余禄>一生に一度は 日本人として四国八十八ヶ所の霊場参拝をしたいと考え、
念願の「結願(けちがん)」を達成した証しの証。
写真左:四国八十八ヵ所の御朱印掛け軸
写真右:秩父三十四観音霊場の御朱印掛け軸
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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