8月2日(金)の朝日新聞に「消えぬ怒りに「無常」の言葉」という記事が掲載されていました。
サブタイトルは「寂聴 愛された日々」
これを読んで 管理人も感ずることがありました。
愛する一人息子が大学受験を控えた高校3年の通学時、
交通事故でなくなり悲痛にくれていました。
ある時西光寺の先代住職に悲しみにくれる心のうちを明かすと
「息子さんは18歳までに定められた人生を経験して亡くなったのであり
これは この世の「ムジョウ」であり「アキラメ」なさい」と優しく言われました。
8月2日(金)の朝日新聞に「消えぬ怒りに「無常」の言葉」という記事が掲載されていました。
サブタイトルは「寂聴 愛された日々」
これを読んで 管理人も感ずることがありました。
愛する一人息子が大学受験を控えた高校3年の通学時、
交通事故でなくなり悲痛にくれていました。
ある時西光寺の先代住職に悲しみにくれる心のうちを明かすと
「息子さんは18歳までに定められた人生を経験して亡くなったのであり
これは この世の「ムジョウ」であり「アキラメ」なさい」と優しく言われました。
浅学の管理人は住職の言葉の「ムジョウ」は「無情」と「アキラメ」は「明らめ」と理解し、
「死は明白な事実だよ」と理解していました。
その後、心を鎮めるために仏教書を読むうちに 住職のことばを理解することができました。
それは宇宙・世界のすべてのものは 時間の経過とともに形を変え滅びて行くという真理があり人間も例外でなく
同じ状態は続かないという「無常」であり、「アキラメ」は「事柄を断念すること」を意味し
「死は この世の真理であって 手も足も出ない事柄であるので断念しなさい」という諭(さとし)の言葉でした。
18歳という若い人生を終えた息子が愛おしく、西光寺の墓地へ続く参道に
息子の身代わりの「南無地蔵菩薩」を建立する許可を先代住職から得て、建立させていただきました。
参道から何の障害もなく鶴川街道を見下ろす位置に建つ「南無地蔵菩薩」は、
24時間、昼夜を問わず鶴川街道を行き交う人々、行き交う車の交通安全を祈願する仕事が
亡き息子に残された仕事として務めています。
住職によればその仕事は「南無地蔵菩薩」が物理的に朽ちるまでの およそ300年間は
交通安全祈願をなすことができるとのことです。
息子が生きていれば かなうはずだった仕事は形を変えて 300年間にわたる仕事についています。
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
このBlogを チェッカーズに追加 |
このBlogを リーダーに追加 |