朝日新聞を読んでいて 驚いた。
『柿生の「離宮」と柳田國男』という記事に 目が留まった。
何と 戦前の1941年(昭和16年)に柿生離宮の計画があった由。
離宮とは名目にすぎず 充分な防空施設のない宮城(皇居)にかわる新皇居を建設しようとしたのだ。
密かに練られた計画は 松平宮相によって歴史の闇に葬られたという記事。
記事の詳細は 管理人が 朝日新聞社から記事転載承諾を得て
麻生観光協会のホームページにアップしましたのでそれをご覧ください。
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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