2020年01月08日

「せいの神」が建立された

0神社達磨280
黒川で延々と昔から引き継がれている「せいの神」(別名どんど焼きともいう)。

昔から正月の松が明けた7日に、せいの神が建立されることになっており、今年は1月6日(月)に、
黒川・上(かみ)地区は橋場の田んぼに、
黒川・中(なか)下(しも)地区は東(あずま)営農団地にそれぞれ建立されました。 
本来なら中学2年生(旧制中学の最上級生という流れをくみ)が大将となって小学1年生から中学1年生を組織して
子供たちがせいの神を建立するのが習わしですが、
今年も黒川町内会役員、汁守神社役員やボランティアも含めた大人が中心となり、建立作業が行われました。
   (写真撮影:令和2年1月7日)


黒川に建立されたせいの神は、12m以上の高さを誇る川崎市内でも他地域には見られない立派なものです。
このような昔からの風習であるせいの神が建立できるのは、理由があります。
第一は、正月の風物詩であるせいの神は 子供のころから建立に参加し お焚きあげに参加して身についている経験がありそのDNAが体にしみついていること、
第二に、神社役員・町内会の風習を絶やさず後世に残して行こうという意気があり 地元・黒川を愛する団結力があること、
第三は、巨大な焚火・裸火と化すせいの神を屋外で焚ける場所があること(都市部では住宅が密集していて不可能)と、地主の土地(民有地)使用許可の協力があること、
第四には、素材となる孟宗竹などが容易に入手できることなどによります。

今年のせいの神は、どっしりとした安産型の腰回りが広い風格のものとなっています。
  (写真:橋場の田んぼに建立された黒川・上(かみ)地区の せいの神

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黒川・中(なか)下(しも)地区
は、飾るダルマの数が多く頭でっかちだったため建立に苦労。
今年の特徴は、高さを競わず腰がどっしりした自立型の せいの神を建立。

(写真:東(あずま)営農団地に建立された黒川・中(なか)下(しも)地区の せいの神

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黒川・中(なか)下(しも)地区
せいの神は、毎年、竹で作った鳥居とお賽銭箱を設置する習わしがあり、
今年も設えられていました。 

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これら黒川地区の2か所に建立された「せいの神」(別名:どんど焼き)は、1月12日(日)の午後5時に点火されることになっています。
当日は、書初め・年賀飾り・古いお札やお守り・ダルマなども、お焚きあげできますので早めにお持ちください。
どんど焼き(せいの神)の清らかな火に当たれば、この1年間は風邪をひかないなどという言い伝えもあります。

古くから黒川に伝わる せいの神の風習を絶やすことがないよう、黒川地区の子供たちに参加してもらい、正月の思い出を残してほしいと願います。
そして黒川地区で生まれ育ったことを誇りに思い、帰属意識が涵養されることを願います

<追>
わたしのような黒川の老人は、ハイカラな「どんど焼き」という言葉より 子供のころから「せーの神」 (せいの神では、無い)と呼んでいました。
せーの神」という呼び方は、柿生の他地区でもそう呼んでいました。

 (参考: 「せいの神」の建立場所はこちら ⇐これをクリック 
  (参考:   せいの神の建立順序 2008.01.08のブログ記事)

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Posted by tomato1111 at 00:00