2019年10月12日

狩野川台風(昭和33年)での自宅崩壊

台風
わたしが柿生中学2年生だった昭和33年9月26日に 狩野川台風に襲われた。

今の宮添みのり公園の所に 茅(かや)ぶき屋根の農家・我が家があった。

その日は台風により停電だった。

座敷に 家族全員の布団を敷き寝ていた。

零時を上回ったころ 父は被害が心配で家の周りを見に外へ出て戻ってきて 休んでいた。

わたしはラジオ少年だったので 電気を使わくても作動する自作の鉱石ラジオで台風情報を布団の上で聞いていた。

疲れたので布団の中に入ったその時だった。


ミシミシと言う音と共に天井が落ちてきて 床が大きく動いた。

真っ暗闇で何が起きたのか分からなかったが 明らかに茅ぶきの我が家がつぶれたのだった。

その時、母は家の梁(はり)の下敷きになっていて、身動きができない状況だった。

茅ぶき屋根の農家は 囲炉裏の煙を排出するために屋根の合わせ目に すき間がある。

身体が動いたわたしは その隙間から抜け出し、家の外に出て、近所の農家に
我が家がつぶれて 母が梁の下敷きになっていて動けないので 助けに来てほしい」とお願いに行った。

話を聴いた農家も 夜であり 動きが取れないということで 夜が明けたときに 数軒が助けに来てくれた。

農家の茅ぶき屋根を支えていた梁は 太いものだった。

のこぎりで切断し、母は救出されたが 肩の骨が生涯にわたり傷ついた。

 

思えば 父が台風の影響を見に外へ出ている時であれば、父は土砂に紛れて命が守れたか?
わたしも布団の上で座って鉱石ラジオを聞いていたが 崩れる前に布団の中に入ったので助けられた。

もし 布団の上で座っていたら 天井が落ちて来て 首の骨が折れ この世にいなかっただろう。

原因は裏山に 陸軍の探照隊基地があり そこに横穴が掘られていた。

台風のもたらした史上最大の雨が ゆるんだ土を動かし坂を勢いよく下って 大量の土砂が我が家を襲ったのだった。

 

黒川での全壊家屋は 我が家だけだった。

片平でも数軒が全壊の被害にあった。

 

当時の報道によれば 狩野川台風で全壊した家屋は2118棟と発表されているが 
そのうちの1棟が我が家だった。

 

その後は、住まいがなくなり 近所の物置・納谷を借りて 
一家6人が当面住まわせていただいた。

納屋なので 襖(ふすま)も障子もない ただ空間があるだけだったが 
雨露が防げるだけでありがたかった。
学校の教科書からアルバムなどすべてを失った。
家族6人の命だけが残っただけでも有難かった。

また日本赤十字社から毛布を含む救援物資が届き 嬉しかった。

<災害発生時のポイント>
災害発生時の一刻を争う緊急を要する救命・救助は、消防や警察はすぐにはやってきません。
頼りになるのは 付き合いのある隣近所です。
我が家の場合は 町内会をベースにした組合付き合いのあるおじさんたちに 助けてもらいました
平常時から隣近所との人間関係、町内会や民生委員との関係が重要です。
役所の関係者が自宅から駆け付けて対応するためには 時間が必要です。

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朝日 台風800






































































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Posted by tomato1111 at 11:15