2019年01月08日

「せいの神」(どんど焼き)建立…1月7日

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黒川で延々と昔から引き継がれている「せいの神」(別名どんど焼ともいう)。

 

昔から正月の松が明けた7日に、せいの神が建立されることになっており、
今年も1月7日(土)に、黒川・上(かみ)地区は橋場の田んぼに、

黒川・中(なか)下(しも)地区は東(あずま)営農団地にそれぞれ建立されました。

本来なら中学2年生(旧制中学の最上級生という流れをくみ)が大将となって
小学1年生から中学1年生を組織して子供たちがせいの神を建立するのが習わしですが、

今年も黒川町内会役員汁守神社役員ボランティアも含めた大人が中心となり、建立作業が行われました。


黒川に建立されたせいの神は、12m以上の高さを誇る川崎市内でも他地域には見られない立派なものです。
このような昔からの風習であるせいの神が建立できるのは、理由があります。
その
第一は、正月の風物詩である
せいの神は 子供のころから建立に参加し お焚きあげに参加して身についている経験がありそのDNAが体にしみついていること、
第二に、神社役員・町内会の風習を絶やさず後世に残して行こうという意気があり 地元・黒川を愛する団結力があること、
第三は、巨大な焚火・裸火と化すせいの神を屋外で焚ける場所があること(都市部では住宅が密集していて不可能)と、地主の土地(民有地)使用許可の協力があること、
第四には、素材となる孟宗竹などが容易に入手できることなどによります。


(下写真:橋場の田んぼに建立された黒川・上(かみ)地区の せいの神
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「せいの神」の頭には、汁守神社拝殿内で昨年の1年間、お守りしてきた大ダルマが座る
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「せいの神」の建立に参加した上地区の氏子、町内会関係者
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黒川・中(なか)下(しも)地区今年の特徴は、高さを競わず腰がどっしりした自立型の せいの神を建立。
(写真:東(あずま)営農団地に建立された黒川・中(なか)下(しも)地区の 
せいの神

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1月7日の朝10時に、黒川の子供たちが我が家へ お正月のお飾りを集めに来ました。

門を飾ったお飾りを子供に渡しました。

そして子供たちが楽しみにしているお神酒銭(おみきせん)を手渡しました。

このように子供たちが中心になって組み上げられる「せいの神」のお年玉というべきか駄賃ともいえる小銭を渡すことが重要です。

ただ単に 不要となったお飾りを渡すだけでなく、それを神聖な「せいの神」でお炊き上げしてもらう手配の仕事に対して 対価を渡さなければなりません。

昔からの習慣を継続していることに 爺は嬉しくなりました。


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黒川・中(なか)下(しも)地区せいの神は、毎年、竹で作った鳥居とお賽銭箱を設置する習わしがあり、
今年も設えられていました

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これら黒川地区の2か所に建立された「せいの神」(語源は 賽の神?)(別名:どんど焼き) は、1月14日(月)の午後5時に点火されます。
当日は、書初め・年賀飾り・古いお札やお守り・ダルマなども、お焚きあげできますので早めにお持ちください。

古くから黒川に伝わる せいの神の風習を絶やすことがないよう、黒川地区の子供たちに参加してもらい、正月の思い出を残してほしいと願います。
そして黒川地区で生まれ育ったことを誇りに思い、帰属意識が涵養されることを願います

<追>
わたしのような黒川の老人は、ハイカラな「どんど焼き」という言葉より 子供のころから「せーの神」 (せいの神では、無い)と呼んでいました。
せーの神」という呼び方は、柿生の他地区でもそう呼んでいました。

 (参考: 「せいの神」の建立場所はこちら ⇐これをクリック 
   (参考:   せいの神の建立順序 2008.01.08のブログ記事