1968年(昭和43年)に障害を持つ子ども達・知恵に遅れを持つ子ども達・両親のない子・家庭での養育困難な子ども達の
養護施設 ねむの木学園が開園しました。
当時は障害を持つ子ども達は学校へ行くこともできず、日本では法律も整備されていなかった時代に、
歌手・女優・映画監督の宮城まり子さん(1927年生まれ)が
日本で初めての肢体不自由児のための養護施設 ねむの木学園を設立しました。
その由緒あるユニークなねむの木学園を11月28日に視察する機会に恵まれました。
奇しくもわたしたちが訪れた前日の11月27日には、天皇、皇后陛下が ねむのき学園を訪問されました。
わたしは 今から10年前の平成20年11月に 縁があってねむのき学園を視察させていただいており、今回で二度目の訪問でした。
静岡県掛川市にある「ねむの木村」は、奥深い山の中にあり、バスを降りると地中海風の明るいえんじ色の瓦屋根に白壁の建物が樹木の間に顔を出します。
どの建物にも子ども達による鮮やかな原色を使ったあたたかい絵が描かれています。
塔に描かれた和やかな子どもたちを描いた壁画は、宮城まり子さんが足場を組んで自ら描いたとのこと
ここの教育は、感性と感受性を大切にし集中力を養う教育(集中感覚教育)に特徴のひとつがあります。
特に絵画にはすぐれたものが多く、世界での評価が高い作品が多いとのことです。
当初は週刊新潮の表紙を描いていた谷内六郎氏にも指導を受けたそうです。
そこでは「絵の書き方を教えない、そして褒めない」を実践したとのことで、子ども達には一切「うまいなー」とか「へただなー」という評価もしないことにしているそうです。
子ども達には「絵を描いてくれて嬉しい」「ありがとう」と言って返すことにより、
自分の作業の成果で他人を喜ばすことができると考えて子どもたちの自信につなげることができると説明されていました。
他の作業では「褒める」事が大事で、けなすことなくいつも「よくできたね!」「とても良いよ!」などと、
常にプラスの評価をされているとわたしは聞きました。
宮城まり子園長先生が書かれた生活の約束
「だめな子なんてひとりもいない」というのが学園長の宮城まり子先生のモットーで「すべての人に対し、
その能力を生かし、人として正しい生活を送ることができるようにするのが福祉ならば、
福祉は文化であり、文化は福祉にある」というお考えをお持ちです。
ねむの木学園では日本国憲法をはじめとした法の精神に則り、障害を持つすべての子ども達の才能を信じて、
かくれた能力を引き出すべく、個性の尊重と豊かな人間性を培うことをねらいとして、
無学年制の開かれた教育体系を実践しているそうです。
この学園を卒業した子ども達が成人した後も、ここで自活することができるような教育や施設を新設しており、
現在では5歳から79歳までの73人がここで生活してとお聞きしました。
ねむの木学園は、公的な養護施設であるため、全国にある児童相談所と連携をとりながら、入所児童・生徒を決めているそうです。
明るい校舎・建物、色彩豊かな教室で学べる生活できる子ども達は、愛情豊かな教職員達に囲まれて、
自分たちのペースでのんびりと おのれの個性・感性・感受性を存分なく発揮して、伸び伸びと育っています。
宮城まり子園長先生のモットーは、『愛』です。
誰へだたりなく、どんな障害のある子にも平等に、やさしく接しています。
そのため子ども達は、宮城先生を「お母さん!」と呼んで親しみを込めて接しています。
恥ずかしながらわたしは、ねむの木学園・宮城まり子さんの名前を聞いたことはありました。
昔々、ラジオから流れる「ガード下の靴磨き」や「毒消しはいらんかねー」という歌が宮城まり子さんだったという記憶はあります。
華やかな歌手・女優の傍ら、取材で知った肢体不自由児の世の中の待遇に驚き、
ご自身の人生を肢体不自由児等の愛情を受けられない子ども達のためにささげてこられた宮城まり子さんに最大の敬意を表します。
部屋の入口に掲げられている名称板
宮城まり子園長先生の手書き文字で「ねんね」とは、看護室の意。
願わくば健常者のわたし達は わたし達ができる愛の手を、さりげなく このような境遇に置かれている人たちの手助けをさせて頂きたいと 考えます。
朝日新聞 平成30年11月27日(火)朝刊
ねむの木村とは、社会福祉法人 ねむの木福祉会
肢体不自由児療護施設 ねむの木学園
身体障害者療護施設 ねむの木のどかな家
学校法人 ねむの木学園 特別支援学校 ねむの木
(健康な人、ハンディを持った人、老人、若者、ともに暮らせる場所が「ねむの木村」で、上記の施設が同じ敷地内にあります。)
(参考:ねむの木学園 公式ホームページ)