2016年08月26日

リビアでの特異な経験

砂漠

現役時代、カダフィ大佐リビアを統治している時代に、何度もリビアへ出張した。

観光がオープンになっていない時代でしたので、リビア入国にはリビア国が発行した招聘状が無ければ入国ができない。

わたしは専門商社の社長と二人で、ローマからリビアンエアライン(国営航空会社)で、リビアの第二の都市、ベンガジにある空港に着いた。

飛行機のタラップを降りると私たちを待ち受けていた先方の関係者の手招きにより、飛行機に横づけされたジープに乗り込み市内へ向かった。

どこの国にもある外国人の入国手続きは一切なく、特別な使命を帯びた外国の関係者という扱いを受けたのである。


商談で当時のカダフィ大佐の兄と称する人物に会った。

(仲介の労をとったのは、後にリビア国日本大使になる人物)
見渡す限りの砂漠の中の国道から少し離れたところにある巨大なテントが、彼のオフイスだ。

砂漠の中のテントであるため地上からの外敵はすぐ発見できるメリットがあるのか?

商談を進めるためには、リビア国の機密情報が無ければ詳細なシステム提案書の作成が困難なので、彼にそれを求めると、快く提供してくれた。

それを受け取ったわたしは、スパイ網が張り巡らされているリビア国内で、警察等の尋問があった場合、国家機密の書類を持っているわたしは、
即逮捕・拘束されるのではないかと考え、彼に「この書類はこの男に理由があって渡したものである」旨の自筆の書類を作成してもらった。

それ以降、リビアに滞在しているときは、その機密書類と所持許可証を恥ずかしいが腹巻の下にもぐらせて常にわたしとともにあった。



いよいよ帰国する日。

リビアンエアラインベンガジから地中海を超えてローマ国際空港に着いた。

別途預けておいたわたしのスーツケースが紛失しているではないか!
そのためローマ空港ではで受け取れなかった。

ローマ空港の苦情窓口に行き、理由を説明したところ、リビアからの貨物はいつも5−6個が紛失しており、その一人がわたしだという。

例の機密書類はわたしの腹巻の中にあるしパスポートや帰国の航空券も身に着けていたので、心配ないが着替えから歯ブラシまで旅行用品が入ったスーツケースがないので困った。

スーツケースの出現を期待し、ローマ市内のホテルで待っていたが出てこない。

あきらめて二日後に、スーツケースなしで成田へ戻ってきた。

それからおよそ1週間後、成田の日本航空から連絡があり、わたしのスーツケースが見つかり成田に届いているので引き取るようにと言う連絡があった。



間違いなくわたしのスーツケースであるが、カギが壊されており紐でくくられていた。

中を開けて確認すると、特に無くなったものはないようだったが、誰かが何かを探したのか中身がグチャグチャになっていた。



ある人によれば当時のリビア国では不審な航空荷物を開けて調査しているのだという。

わたしの場合は例の書類がスーツケースの中に入っていれば同国の諜報機関により、わたしの命が危なかったかもしれないとゾッとした。



しかし今はカダフィ大佐もこの世を去り、イスラム国がリビアの各地で勢力を伸ばしているという報を聞くと、まだリビアの一般市民には安堵の平和な時が訪れていないのではないか案じている。



Posted by tomato1111 at 00:00│忙中閑