身辺整理をしていたら、昭和55年3月1日(1980年)の社内報にわたしが寄稿した「インシャーアラー」というタイトルの記事が出てきました。
当時の社内報に書いた記事で懐かしく思い、ここに転載します。
カダフィが統治していたリビヤ出張記で、コーランが生活の規範となっている 日本とは全く異なる習慣を持つ国。
(カダフィは、2011年10月20日(満69歳)で、反カダフィ派部隊により殺害された。)
身辺整理をしていたら、昭和55年3月1日(1980年)の社内報にわたしが寄稿した「インシャーアラー」というタイトルの記事が出てきました。
当時の社内報に書いた記事で懐かしく思い、ここに転載します。
カダフィが統治していたリビヤ出張記で、コーランが生活の規範となっている 日本とは全く異なる習慣を持つ国。
(カダフィは、2011年10月20日(満69歳)で、反カダフィ派部隊により殺害された。)
現地で撮影した3人が写っている写真の真ん中でサングラスをかけている紳士は、その後リビアの日本大使として日本へ赴任してきた有力者。
彼の自宅(首都トリポリと港湾都市ベンガジに住居を持つ)を何度か訪問し食事をごちそうになったことがあって、とても懐かしい。
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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