新潟に『弥彦神社あり』 といつか参拝したいと考えていましたが、今回の研修旅行で実現しました。
広々とした越後平野の中央に聳えたつ弥彦山(標高634m)のふもとに鎮座します弥彦神社(やひこじんじゃ)は、
今年、平成27年(2015)は、大正の御再建・御遷座から数えて100年という「御遷座100年」にあたるお目出度い年にあたります。
弥彦山を神体山として祀る神社で、古くから「おやひこさま」と呼ばれ、
心のふるさと、魂のよりどころとして多くの人から広く親しまれています。
新潟に『弥彦神社あり』 といつか参拝したいと考えていましたが、今回の研修旅行で実現しました。
広々とした越後平野の中央に聳えたつ弥彦山(標高634m)のふもとに鎮座します弥彦神社(やひこじんじゃ)は、
今年、平成27年(2015)は、大正の御再建・御遷座から数えて100年という「御遷座100年」にあたるお目出度い年にあたります。
弥彦山を神体山として祀る神社で、古くから「おやひこさま」と呼ばれ、
心のふるさと、魂のよりどころとして多くの人から広く親しまれています。
一の鳥居( いちのとりい)
彌彦神社の入り口に立つ鳥居で、霊界の入り口となるシンボル。高さ約8.4m。
拝殿(はいでん)
明治45年の炎上後、大正5年に再建した威風堂々とした社殿。
参拝や祈祷をするための施設で、平成10年9月、国の登録有形文化財となりました。
弥彦山を御神体とする山岳信仰の神社で、祭神は天香山命 (あめのかごやまのみこと)
越後国の一宮・「弥彦神社」は、新潟一のパワースポット (一宮に関しては、欄外参照下さい)
弥彦神社 山門と石段
あいにくの冷たい雨が降っている
この弥彦神社の参拝方法が、一般の「二拝二拍手一拝」なのに対して 「二拝四拍手一拝」であることです。
この「二拝四拍手一拝」の参拝方法と同じ神社は、管理人が11月に参拝した島根県の出雲大社があります。
弥彦神社の神職に尋ねたところ、この弥彦神社、出雲大社の他に 大分県宇佐市にある「宇佐神宮」の3神社が
「二拝四拍手一拝」の参拝方法だそうです。
これは日本最古の神道の参拝方法で、古式神道の作法を守った神社と言われています。
管理人が小学生だった昭和31年(1956年)の元旦、弥彦神社で初詣で客将棋倒しが発生し、死者124が圧死したという事件がありました。
新年の餅まきに多くの人が殺到したことにより起きた事件で、管理人の頭の中に記憶として、ズーッとあったので名前を覚えていた神社だったのです。
現場となった石段を見ましたが、高さ5mほどの石段で、なんでこんなところで?と思いましたが、
5000人もの参拝客が寒い元旦の朝、早く帰ろうと他愛ない石段での将棋倒しになったのかなと思いをはせました。
黒川の汁守神社の石段のほうが急峻で、上から多くの人が押したら、もっと危険だと思います。
(余談)
新潟市役所の方が、『この時期の新潟でしか味わえないお勧めの特産物』として洋ナシの「ル レクチェ」を紹介されました。
新潟ふるさと村を訪れた時に、果物屋さんの店頭に 洋ナシの貴婦人と称される「ル レクチェ」がありましたので、土産に購入しました。
確かに独特の風味を持つ とろけるようなナシで、山形の「ラ フランス」とは、また違った味わいでした。
<参考:一宮(いちのみや)>
旧国内で最も有力(社格が高い)とされる神社のこと。
一宮についで社格が高い神社を「二宮(にのみや)」、その次を「三宮(さんのみや)」と呼ぶ。
平安時代〜鎌倉時代(11世紀〜12世紀)にかけて成立したと言われている。
その起源には諸説あり、「国司が、国内の諸社を巡拝するにあたり、最初に参拝する社を一宮とした」との説が通説。
最初に参拝する神社は、(朝廷や国司が指定したのではなく)各諸国において由緒の深い神社、または信仰の篤い神社が勢力をもち、自然に生じた序列に従い決定したとする説が有力
(引用:ぶらり寺社めぐり http://www.flow-stock.com/jisyameguri.html)
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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