2015年08月07日

「天井桟敷」アングラ劇団

天井桟敷p
天井桟敷」という言葉を知っていますか?

寺山修司」という名前を知っていますか?

カルメン・マキ」という歌手を知っていますか?


今から46年前、大手町にあった会社の新人サラリーマンだったわたしを、業務後、渋谷警察署先にあった地下の劇場に先輩が連れて行ってくれた。

そこが日本初のアングラ専用劇場「天井桟敷館だった。 


そこは寺山修司主宰で演劇実験室を標榜した演劇グループの異色のアングラ劇団。

天井桟敷に感動し団員になった17歳のカルメン・マキが歌う「時には母のない子のように」で一躍有名になる。


何しろ前衛的な劇団であり、わたしたちの常識が通用しない。

劇場「天井桟敷館」と言っても、地上で入場券を買い、地下への殆ど照明のないうす暗い階段を下りていく。

劇場には開演時間 間際に着いたため、地下には多くの若者が床に座して開演を待っていた。

わたしと先輩は、階段の途中でそれ以上下に降りられず、ステップに腰を下ろした。

暗闇に目が慣れてきて、階段下を見渡したが、どこにもステージらしきものは見当たらなかった。

ただ多くの男と女の若者がバラバラに座っているだけだった。

そしてうす暗い地下室。

劇場の幕さえない。

突然、階段の上から大きな声を張り上げて若い男が地下室に駆け下りてきた。

何が起きたのだろう?

すると地下室に座っていた若い女が急に立ち上がり、同じく何か大きな声を張り上げている。

それに呼応するかのように、わたしたちが座っていた階段にいた男が、立ち上がり、何かをがなり始めた。


何のことはないこれが寺山修司のアングラ劇場の芝居だったのだ。
劇団員も観客も同じ地下室に隣り合って座っており、また階段にも座っていて、芝居の進展に伴ってアクションを起こしていたのだ。
劇団員も観客も渾然と同じ空間にいるのである。

度胆を抜かれるような芝居だった。

ステージも椅子も、満足な照明もないうす暗い地下室の中で、お金を取って演じられた劇団が アングラ劇団「天井桟敷だった。

既定観念を打ち破る天井桟敷の芝居に、若かった自分は度胆を抜かれると同時に、ある意味で面白かった。

当時の団員の中にはグラフィックデザイナー・イラストレーターの横尾忠則もいた。

今はこのような劇団は、日本にはないと思うが?

(下記の記事は、天井桟敷を思い出させてもらった日経新聞夕刊平成27年7月14日に 掲載された「こころの玉手箱」)

こころの玉手箱 天井桟敷日経夕270714 800


 


Posted by tomato1111 at 00:00