
暮れも押し迫った12月27日、黒川にある劇団民藝では毎年恒例のお餅つき が行われました。
真新しい木臼が二つ民藝の1階に置かれ、朝の7時ごろから準備に入り 機械を使わず人力でおよそ300kg(昔の米俵換算で5俵)もの莫大な量のもち米をつきあげていました。
真新しい木臼が二つ民藝の1階に置かれ、朝の7時ごろから準備に入り 機械を使わず人力でおよそ300kg(昔の米俵換算で5俵)もの莫大な量のもち米をつきあげていました。
素人の餅つきと侮るなかれ、さすがよくまとまった劇団民藝のスタッフは、餅つき道具の配置から手順まで無駄なく準備され、次々に蒸しあがるもち米を若手劇団員がテキパキとつきあげる様は流れ作業のよう。
つきあがった餅は、これまた多くの女性若手団員が要領よく小さな丸餅に仕上げていきます。
さすがに広い稽古場の床には、次々に丸餅が届いて雪花か白い花が咲いたように変身していきます。
毎年劇団民藝で行われている餅つきとはいえ、無駄のないチームワークの作業に驚きました。
特に餅つきは蒸かしたもち米を臼でつぶす作業・こねが重要でこの作業が餅つきの半分を占めますが、団員たちの腰の入ったこねは実に見事でした。
民藝前を通る人たちにも餅つきへの参加を誘うなど、地元に愛される劇団民藝を惜しみなく発揮していました。
また飛入りで参加した管理人(左写真)(70歳の爺)も農家だった頃の餅つきを思い出し、昔取った杵柄(むかしとったきねづか)とばかり、日頃のストレスを吹き飛ばすべく、力一杯 三臼の餅をつきあげました。
餅をつくのと同様に大事なのは、餅の返し作業です。
餅のつき手と息の合った返しをしないと危険ですが、劇団民藝の若手女性陣は実に鮮やかに返しを行っていて、安心して気持ちよく餅をつくことが出来ました。
昔から年末の餅つきは29日を避ける風習があり、管理人の我が家でも避けています。
「苦をつく」から「九日餅」と言われるからですが、逆に「二九」を「福(ふく)」と読み替えて、29日に餅をつくところもあるようです。
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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