2014年11月20日

熊野古道・熊野三山 完全踏破の旅を終えて

0平安衣装200長年の念願であり、憧れであった「熊野参詣道(熊野古道)を歩み熊野三山を訪ねる旅」霊場「熊野」は熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺、補陀洛山寺の三社二寺で構成される)を自分の足で山道を辿り、かなえることができました。
古希を迎えた今、自分の健康寿命が尽きる前に自分の足で、紀伊山地の霊場と参詣道(『中辺路(なかへじ)』コース)を巡ることができて とても幸せです。

もし来春もわたしが健康であるならば、熊野参詣道の高野山から熊野本宮大社を結ぶ、最も長く最も厳しい山岳ルートを通る『小辺路(こへじ)』コース(1000mの峠を三つも越える約70kmの山岳コース)を自分の足で辿りたいと考えています。
参考:四国八十八ヵ所お遍路の旅)(参考:公園・旧跡を訪ねての索引
  
    (写真:平安時代の衣装を着て、熊野詣をする娘たち)


今回の『世界遺産・熊野古道 完全踏破の旅』を締めくくるために、下記にそのよすがとなる索引にまとめました。


1.熊野古道 熊野三山めぐり5日間の旅

2.世界遺産・熊野古道 完全踏破の旅一日目(11月5日)  
3.世界遺産・熊野古道 完全踏破の旅二日目(11月6日)

4.世界遺産・熊野古道 完全踏破の旅三日目(11月7日) 
5.世界遺産・熊野古道 完全踏破の旅四日目(11月8日)
6.世界遺産・熊野古道 完全踏破の旅五日目(11月9日)


中世の人々は、なぜけわしい道を難関苦行しながら熊野へ向かったのかというわたしの疑問は、熊野古道にあった説明文を読み納得しました。

 「それは、
神の国として信じられた熊野は熊野三山が、仏が神に化身してあらわれるという三所権現の地でもあり、それに山岳宗教の修験道が加わって極楽往生の霊験あらたかなものとして全国に広がり、平安時代初期より江戸時代にかけて人々のあこがれの地として栄えてきました。」


日本で唯一、世界でも珍しい「」が主役の世界遺産 それが『熊野古道』。
その歴史は、平安貴族が秘境熊野に現生浄土を求めたことに始まるといわれる。
熊野の神様は現世に利益をもたらし、死後も浄土に導いてくれる霊験あらたかな存在。
信・不信、老若男女、貴賤、浄・不浄」にかかわらず、どんな人も救ってくれるおおらかな神様。
熊野の「社寺と道」は、「山岳信仰の霊場と山岳修行の道」であり、紀伊山地の自然がなければ成立しなかったという。


熊野三山
を目指す熊野参詣道には、四本の道があった。
それは
〆任睇冏砲僕用された紀伊半島西岸を進み、田辺から山中を進む『中辺路(なかへじ)』(管理人注:今回の管理人が選んだ古道のルート)、
田辺から海岸沿いを進む『大辺路(おおへじ)』、
9睫郢海鳩野を結ぶ『小辺路(こへじ)』、
ぐ棒神宮と熊野を結ぶ『伊勢路(いせじ)』
である。


熊野三山への参詣は平安時代から始まり、室町時代まで盛んに行われ、特に『中辺路(なかへじ)』は多くの参詣者が列をなして歩んだことから『蟻(あり)の熊野路』と形容され、近世には、熊野三山への参詣を含む西国巡礼のルートとなった。

霊場「熊野」は熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺、補陀洛山寺三社二寺で構成される。
三社は個別の自然崇拝に起源をもつが、主祭神を相互に勧請し「熊野三所権現」として、また神仏習合の盛行により信仰を集めた。
那智山青岸渡寺は西国巡礼の一番札所として、補陀洛山寺は補陀洛渡海信仰で知られた寺院である。(出典:紀伊山地の霊場と参詣道・・・・和歌山県発行)


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<参考資料>

*紀伊山地の霊場と参詣道・・・・和歌山県

*熊野古道 癒しの聖地 熊野三山へ・・・・和歌山県

*南紀熊野 那智勝浦 紀伊山地の霊場と参詣道・・・・和歌山県

*熊野古道を歩く旅・・・・山と渓谷社

*南紀・熊野古道へようこそ・・・・昭文社

*和歌山県街道マップ 熊野古道 中辺路 大日越

*和歌山県街道マップ 熊野古道 熊野速玉大社―熊野那智大社 大雲取越・小雲鳥越