今回の熊野古道 完全踏破の旅の最終日は、宿泊所の湯の峯荘を出発して「大日越(だいにちごえ)」コースの山道をおよそ2時間かけて歩き、熊野三山の最後の社 熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)に参拝し、旧社地「大斎原(おおゆのはら)を巡りました。
旅の最後は、近くの渡瀬温泉で旅の疲れを流し、大阪空港から羽田経由ではるひ野へ。
最終日も全国的に雨と言う予想でしたが、お陰様でわずか濡れる程度の雨にあっただけで とても天候に恵まれた5日間でした。
今回の熊野古道 完全踏破の旅の最終日は、宿泊所の湯の峯荘を出発して「大日越(だいにちごえ)」コースの山道をおよそ2時間かけて歩き、熊野三山の最後の社 熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)に参拝し、旧社地「大斎原(おおゆのはら)を巡りました。
旅の最後は、近くの渡瀬温泉で旅の疲れを流し、大阪空港から羽田経由ではるひ野へ。
最終日も全国的に雨と言う予想でしたが、お陰様でわずか濡れる程度の雨にあっただけで とても天候に恵まれた5日間でした。
熊野古道世界遺産登録10周年のクラブツーリズムが主催する『熊野古道「熊野三山」完全踏破』に参加し、熊野速玉大社を出発して、熊野那智大社、熊野本宮大社を結び、最大の難所である大雲鳥越(おおぐもとりごえ)、小雲鳥越(こぐもとりごえ)の厳しい山道も含めて約55kmをすべて歩いて訪ねる旅でした。
苔むした古道、延々と続く杉木立の古道、石畳が続く古道、車のクラクションとも無縁の静寂さ続く古道をただひたすら自分の足で、自分なりのサムシングを求めて歩き続けました。
参加者全員、一人の欠落者もなくゴールの熊野本宮大社にたどり着くことができ、わたし自身も古希の体力確認を兼ねた旅でしたが、少しばかり自信がつきました。
「大日越(だいにちごえ)」コースは、先ず湯の峰温泉を通過
いにしえの人々が熊野詣での旅の疲れをいやしたといわれる湯の峰温泉。
湯の谷川を挟んで湯宿が並ぶ懐かしい雰囲気の温泉街で、ここには世界で唯一世界遺産に登録されている「蘇り(よみがえり)の湯 つぼ湯」がある。
温泉を登ってすぐに「湯峯王子(ゆみねおうじ)」
「鼻欠け地蔵」
大日越の山道を下る
山を下ってすぐに「熊野本宮大社」(熊野権現)へ
大鳥居をくぐり
石段を登って「熊野本宮大社」へ
山門をくぐり
荘厳な熊野権現造りの「熊野本宮大社」
檜皮葺き屋根の葺き替えが済み美しさが際立っている
本宮大社の並び順と主神
大社右に「結びの神・祓いの神」が鎮座
熊野の神の使者でもあり、日本サッカー協会のマークである「八咫烏(やたがらす)」
「大斎原(おおゆのはら)」の大鳥居
「大斎原(おおゆのはら)」
明治22年の熊野川の大洪水で流失されるまで、熊野本宮大社が鎮座されていた場所
「大斎原(おおゆのはら)」
旅の疲れを渡瀬温泉で癒す
『熊野古道「熊野三山」完全踏破』の記念写真
今回の旅の講師山崎先生と笑顔がやさしいツアーディレクターの坪倉さん
参加者16名の体調を把握しながら、厳しい熊野古道の山道を誰一人落伍することなく完全踏破が実現したことに、お二人に感謝します。
癒しの道 熊野古道
中世の人々は、なぜけわしい道を難関苦行しながら熊野へ向かったのかというわたしの疑問は、古道にあった説明文を読み納得しました。
それは、
神の国として信じられた熊野は熊野三山が、仏が神に化身してあらわれるという三所権現の地でもあり、それに山岳宗教の修験道が加わって極楽往生の霊験あらたかなものとして全国に広がり、平安時代初期より江戸時代にかけて人々のあこがれの地として栄えてきました。
日本で唯一、世界でも珍しい「道」が主役の世界遺産 それが『熊野古道』。
その歴史は、平安貴族が秘境熊野に現生浄土を求めたことに始まるといわれる。
熊野の神様は現世に利益をもたらし、死後も浄土に導いてくれる霊験あらたかな存在。
「信・不信、老若男女、貴賤、浄・不浄」にかかわらず、どんな人も救ってくれるおおらかな神様。
熊野の「社寺と道」は、「山岳信仰の霊場と山岳修行の道」であり、紀伊山地の自然がなければ成立しなかったという。
<参考資料>
*紀伊山地の霊場と参詣道・・・・和歌山県
*熊野古道 癒しの聖地 熊野三山へ・・・・和歌山県
*南紀熊野 那智勝浦 紀伊山地の霊場と参詣道・・・・和歌山県
*熊野古道を歩く旅・・・・山と渓谷社
*南紀・熊野古道へようこそ・・・・昭文社
*和歌山県街道マップ 熊野古道 中辺路 大日越
*和歌山県街道マップ 熊野古道 熊野速玉大社―熊野那智大社 大雲取越・小雲鳥越
下記ルートマップは、「和歌山県街道マップ 熊野古道」からの転載
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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