7月4日の朝日新聞夕刊に、山本二三さん(アニメーション背景作家)の「私の描くグッとムービー」に 姥捨て伝説をもとにした「楢山節考」というタイトルの絵と文章が掲載されていた。
管理人は、現役時代に姥捨て山をテーマにした「楢山節考」(ならやまぶしこう)の作者、深沢七郎に関心を持っていた。
深沢七郎(ふかざわしちろう)
1914年(大正3年)1月29日生まれ、1987年(昭和62年)8月18日没)
日本の小説家、ギタリスト。
7月4日の朝日新聞夕刊に、山本二三さん(アニメーション背景作家)の「私の描くグッとムービー」に 姥捨て伝説をもとにした「楢山節考」というタイトルの絵と文章が掲載されていた。
管理人は、現役時代に姥捨て山をテーマにした「楢山節考」(ならやまぶしこう)の作者、深沢七郎に関心を持っていた。
深沢七郎(ふかざわしちろう)
1914年(大正3年)1月29日生まれ、1987年(昭和62年)8月18日没)
日本の小説家、ギタリスト。
当時の会社(本社)は土曜日は出勤日で午前中のみ勤務し、午後は「半ドン」と呼ばれて休みだった。
わたしは墨田区東向島で、深沢七郎が経営していた今川焼屋「夢屋」へ、今川焼きを焼く手伝いに押し掛けた。
翌日も「夢屋」へ行き、数回行った記憶がある。
深沢は春・夏・秋は、埼玉県に作った「ラブミー牧場」で過ごしていたが、寒い季節はいやだと、東京の下町、墨田区東向島で今川焼屋「夢屋」を開業。
この今川焼きは、自分でも「正直焼き」というくらい材料に凝って、大豆は北海道産で甘味料は人工的なものは使わず砂糖を使用、甘いあんこをいっぱい詰めた美味しい今川焼きを販売していた。
それに包装紙は当時人気のイラストレーター 横尾忠則がデザインしたものを使っていることでも人気を呼び、毎日、若い女性たちが列を作って買い求めていた。
そこでわたしは深沢七郎にサインを求めたところ、快く持参した彼の本「人間滅亡の唄」にサインをしてくれた。
(彼の肉筆によるサイン 日付は 1971.12.1 とある)
わたしが農家もやっているといったので、「夢屋」ではわたしのことを『ミスター マメトラ』と呼ばれていた。
(マメトラとは、小型の農耕用トラクターの意)
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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