2014年07月15日

深沢七郎…楢山節考

楢山節考映画

7月4日の朝日新聞夕刊に、山本二三さん(アニメーション背景作家)の「私の描くグッとムービー」に 姥捨て伝説をもとにした「楢山節考」というタイトルの絵と文章が掲載されていた。

管理人は、現役時代に姥捨て山をテーマにした「楢山節考」(ならやまぶしこう)の作者、深沢七郎に関心を持っていた。

   深沢七郎(ふかざわしちろう)

   1914年(大正3年)129日生まれ、1987年(昭和62年)818日没)

   日本の小説家、ギタリスト。


人間滅亡の歌表紙



昭和46年(1971年)(今から43年前のこと)。

当時の会社(本社)は土曜日は出勤日で午前中のみ勤務し、午後は「半ドン」と呼ばれて休みだった。

わたしは墨田区東向島で、深沢七郎が経営していた今川焼屋「夢屋へ、今川焼きを焼く手伝いに押し掛けた。

翌日も「夢屋」へ行き、数回行った記憶がある。

深沢は春・夏・秋は、埼玉県に作った「ラブミー牧場」で過ごしていたが、寒い季節はいやだと、東京の下町、墨田区東向島で今川焼屋「夢屋」を開業。


この今川焼きは、自分でも「正直焼き」というくらい材料に凝って、大豆は北海道産で甘味料は人工的なものは使わず砂糖を使用、甘いあんこをいっぱい詰めた美味しい今川焼きを販売していた。

それに包装紙は当時人気のイラストレーター 横尾忠則がデザインしたものを使っていることでも人気を呼び、毎日、若い女性たちが列を作って買い求めていた。










深沢七郎サインm

そこでわたしは深沢七郎にサインを求めたところ、快く持参した彼の本「人間滅亡の唄」にサインをしてくれた。

(彼の肉筆によるサイン 日付は 1971.12.1 とある)


わたしが農家もやっているといったので、「夢屋」ではわたしのことを『ミスター マメトラ』と呼ばれていた。
(マメトラとは、小型の農耕用トラクターの意)


人の世を、裏から見ていた深沢七郎が、当時は好きだった。


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人間滅亡の歌 帯封













楢山節考朝日夕刊260704


Posted by tomato1111 at 00:00