平成24年10月2日(火)
昨日で無事に念願だった四国八十八ヵ所お遍路の旅も結願(けちがん)を迎えた。
今日は四国八十八ヵ所お遍路のスタートした寺、第一番札所の「霊山寺(りょうぜんじ)」へ打ち戻し、その後は徳島港からカーフェリーで和歌山港へ。
弘法大師のご母堂の寺院「慈尊院」を参拝して、締めくくりの修行へのお礼に、高野山へ向かう。
総本山 金剛峯寺で授戒を受け、高野山の宿坊 天徳院に泊まる。
平成24年10月2日(火)
昨日で無事に念願だった四国八十八ヵ所お遍路の旅も結願(けちがん)を迎えた。
今日は四国八十八ヵ所お遍路のスタートした寺、第一番札所の「霊山寺(りょうぜんじ)」へ打ち戻し、その後は徳島港からカーフェリーで和歌山港へ。
弘法大師のご母堂の寺院「慈尊院」を参拝して、締めくくりの修行へのお礼に、高野山へ向かう。
総本山 金剛峯寺で授戒を受け、高野山の宿坊 天徳院に泊まる。
朝一番に四国霊場1番札所 霊山寺(りょうぜんじ)にお参り。
ここは9月20日に訪れた最初のお寺で、ここにお礼参りすることによって、88番から1番に打ち戻って一周が完結したことになる。
徳島港出港11時の南海フェリーで、和歌山へ。
午後1時に和歌山着。
慈尊院
(開基:空海(弘法大師)、本尊:弥勒仏(秘仏、国宝))
(和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832)
空海の母は承和2年(835年)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったという。
弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、この政所が慈尊院と呼ばれるようになった。
空海の母がこの弥勒菩薩を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここということで「女人高野」とも呼ばれている。
(この項:ウイキペディアからの引用)
高野山 大師教会にて授戒式
真言宗の様法に則り、明かりを消した真っ暗なお堂内(大師のお腹の中)で、総本山 金剛峯寺のお札を戴く儀式に参列
夕食後に歩いて、ライトアップされた真言密教の宝塔 大日如来塔(根本大塔)を見に行く。
高さ48mを誇るどっしりとした塔に圧倒された。
<宿泊>
〒648−0211
和歌山県伊都郡高野町大字高野山370
高野山 宿坊 天徳院
四国八十八ヶ所お遍路の旅の最後の夜は、高野山にある宿坊 天徳院。
高野山には117寺ものお寺があり、52の宿坊がある由。(高野山専任ガイドさんの解説による)
わたしが宿泊した宿坊 天徳院は、金沢 前田藩 前田利常夫人天徳院殿の菩提所として元和8年(1622)に加賀藩主が建立したお寺の境内にある。
天徳院は高野山大師教会本部 高野山金剛講総本部から歩いて5分くらいの好立地にある。
御本尊は「山越の阿弥陀如来」。
宿坊2階22号室(8畳間)に宿泊。
窓を開けると目の前に、重要文化財指定の名園 小堀遠州公作「名勝天徳院庭園」が広がる。(一般には非公開)
車の音さえしない静かな環境にあり、尾を引く鐘の音が聞こえてくる素晴らしい環境。
夕食は写真のように精進料理。
高齢の爺やのわたしには有り難い精進料理で、とても美味しくいただいた。
般若湯(お酒)も自由で、ビールを味わいながら、お遍路の最後の夜を過ごす。
(⇒四国八十八ヵ所お遍路の旅…14日目 を読む!)
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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