<土佐の国 修行の道場編>平成24年9月24日(月)
今日は高知市周辺の霊場6か所の札所を巡りました。
そして今夜の宿は、高知でも名高い 高知城下にある天然温泉宿 三翆園。
(四国八十八か所お遍路巡礼地図)
<土佐の国 修行の道場編>平成24年9月24日(月)
今日は高知市周辺の霊場6か所の札所を巡りました。
そして今夜の宿は、高知でも名高い 高知城下にある天然温泉宿 三翆園。
(四国八十八か所お遍路巡礼地図)
(本尊:阿弥陀如来 開基:弘法大師)
(高知県高知市一ノ宮2501)
土佐神宮の別当寺として栄えた古刹。
(本尊:文殊菩薩 開基:行基))
(高知県高知市五台山3577)
神亀元年(724)、聖武天皇の「文殊菩薩の聖地、中国五台山に似た山を探し出す」という勅願により行基がこの地を選び開創した土佐屈指の古刹。
高知県唯一の総檜造りの五重塔が建つ。
(本尊:十一面観世音菩薩 開基:行基)
(高知県南国市十市3084)
聖武天皇の勅願により行基が開基。
その後、弘法大師が来錫。土佐の海の航海安全を祈願し、本尊・十一面観世音菩薩を刻んだ。
寺は峰山の上にあることから「峰寺」の愛称で親しまれ、海上交通の安全を祈願して建立されたという由縁から「船魂観音」と呼ぶ人も多いという。
第三十三番 高福山 (こうふくさん せつけいじ)
雪蹊寺
(本尊:薬師如来 開基:弘法大師)
(高知県高知市長浜857−3)
八十八ヵ所中、禅宗(臨済宗)に所属する3ヶ寺のうちの一つ。
数々の名僧と名品を生んだ寺。
(本尊:薬師如来 開基:弘法大師)
(高知県春野町秋山72)
種間寺の創建は古く、用明天皇(6世紀後半)にさかのぼる。百済からの仏師が帰国途中に暴風雨に遭い、この地に近い秋山港に避難した。その時4尺8寸(約145cm)の薬師如来を刻み、本尾山山頂に安置し、航海の安全を祈願した。その後、弘法大師が仏師の彫った薬師如来を本尊とし寺を開創したという。大師が唐から持ち帰った五穀(米・麦・粟・キビ・豆)を寺に蒔いたところからこの寺の名前がついた。また「安産の薬師さん」として知られている。
第三十六番 独鈷山 青龍寺(とっこうざん せいりゅうじ)
(本尊:波切不動明王 開基:弘法大師)
(高知県土佐市字佐町竜163)
唐に渡った弘法大師は長安の青龍寺で恵果和尚に真言密教の奥義を授けられた。
帰国にあたって日本にも青龍寺建立をと考え、『約束の地に飛んで行け』という願いを込め、独鈷杵(とこしょ)を東の空に投げた。
その後この地で自らが投げた独鈷杵を見つけ、寺を建立したのが寺の由来と言われている。
<宿泊>
高知城下の天然温泉 三翆園
〒780−0862
高知市鷹匠町1−3−35
電話088−822−0131
<巡礼の姿>
菅笠(すげがさ)
写真は、今回の八十八ヶ所巡礼でわたしが着用している菅笠です。
書かれている意味は、『迷が故に三界城、悟が故に十方空、本来東西なし、いずこにか南北あらん、同行二人』。
「同行二人」の読み方は、巡礼の案内・先導役を務めている公認の『先達』さんによれば、「どうぎょうににん」だそうです。
わたしは「どうこうふたり」と呼んでいました。
この菅笠は、笠をかぶったまま礼拝し、お堂の中でも、僧の前でも取らなくてよいことになっています。
巡礼の正装なのでしょう。
白装束
また白装束の背中には、御宝号である「南無大師遍照金剛』と書かれており、その隣に「同行二人」と書かれています。
千二百年前から続いているお遍路。
千二百年前は交通機関もなく道路も未整備、山越えの道も厳しく、1400kmのお遍路の旅に出るということは、道中で死ぬことが大いにありうるので、その時に備えて、死を覚悟しての巡礼だったそうです。
そのため何時、道倒れになってもよいように死に装束である白衣を着る習慣が定着し、今に至っています。
金剛杖(こんごうつえ)
遍路を導く弘法大師の化身と言われる大切な道具。
宿では先ず杖の先を洗い、丁寧に拭き、床の間に立てて合掌。
出かけるときにも合掌し出発します。
輪袈裟(わげさ)
礼拝の正道具であると同時に、遍路の道中修行の身支度として着装します。
手洗いのような不浄のところに立ち入る際や、食事の席では取り外します。
数珠(じゅず)、菅笠も外します。
(⇒四国八十八ヵ所お遍路の旅…6日目 を読む!)
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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