身辺整理をしていたら、昭和56年3月1日(1958年)の社内報にわたしが寄稿した「参鶏湯(サムケタン)」というタイトルの記事が出てきました。
当時は国内の景気が良くなく海外に広く販路を求めて、製品の営業技術を担当していたわたしは海外出張をたびたび行っていました。
仕事を終えて一人ソウルの街を歩いていると、街角の電信柱に「参鶏湯」と漢字で書かれた看板をよく目にしていました。
身辺整理をしていたら、昭和56年3月1日(1958年)の社内報にわたしが寄稿した「参鶏湯(サムケタン)」というタイトルの記事が出てきました。
当時は国内の景気が良くなく海外に広く販路を求めて、製品の営業技術を担当していたわたしは海外出張をたびたび行っていました。
仕事を終えて一人ソウルの街を歩いていると、街角の電信柱に「参鶏湯」と漢字で書かれた看板をよく目にしていました。
頓珍漢(とんちんかん)なわたしは、『ソウルにも「参鶏湯」という名の公衆浴場があるのかなー』と思っていました。
ある日、韓国の社員がわたしを街中の大衆食堂に誘ってくれ、ランチに頼んでくれたのが「参鶏湯」でした。
参鶏湯は鶏の腹の中に朝鮮人参が丸ごとのほかに餅米やニンニクなどを入れて時間をかけて煮たもので、大変栄養価が高く、現地では出産直後のご婦人の体力回復に良く食べられると聞きました。
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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