40年近いサラリーマン生活でお世話になった会社主催のOB会総会に、久し振りに参加しました。
退職した当時、毎年開かれるOB会総会には必ず参加していましたが、最近は地域のボランティア活動にお世話になる機会が多くなってご無沙汰しており、久し振りの参加でした。
会社主催OB会は、退職時が課長職以上、部長職以上等の職級で参加資格が決まり、かつ勤務地や仕事の内容(本社・国内営業部門・海外法人・工場)で細かく行われていて、年に数回開かれています。
40年近いサラリーマン生活でお世話になった会社主催のOB会総会に、久し振りに参加しました。
退職した当時、毎年開かれるOB会総会には必ず参加していましたが、最近は地域のボランティア活動にお世話になる機会が多くなってご無沙汰しており、久し振りの参加でした。
会社主催OB会は、退職時が課長職以上、部長職以上等の職級で参加資格が決まり、かつ勤務地や仕事の内容(本社・国内営業部門・海外法人・工場)で細かく行われていて、年に数回開かれています。
OB会では現役当時の役員・幹部・上司・同僚の顔が懐かしく、またわたしの部下だった社員が管理職として昇格し退職、参加資格を得て出席、彼に出会って懐かしさが込み上げてきました。
会社主催のOB会ということで、現役社長から会社の現況と今後の経営計画の説明があり、その中で順調に経営が推移しているという報告に安堵しました。
『企業年金は確実にお支払するので安心してほしい』という言葉に胸をなでおろしました。
営業でお世話になった大先輩に何十年ぶりかでお会いしたところ、96歳とのこと。
杖を突いてはいるが、一人で参加しお元気なのに驚きました。
失礼ですが相変わらず好奇心が旺盛で、わたしに「最新の早いパソコンを買おうとカタログを取り寄せたが、君はどれが良いと思う?」と聞かれたのです。
工場の設計部長だった大先輩は、退職後、青山学院大学文学部に入学して 在籍何と17年。
学生証を拝見しましたが、今も聴講生として大学に在籍し、週に2回登校しているという若々しい顔にうらやましさを感じました。
『青学・文学部の若い女子大生に囲まれて若返るでしょう』と言うと、
にっこり笑って『頼りにされており、ゼミを取り仕切っている』と自信ありげでした。
6年前に我が家へ遊びに来た同僚に、土産として畑に自生している蕗(ふき)とミョウガの苗をあげたところ、彼の家で活着し毎年春になると蕗とミョウガを収穫しているという話を聞き少しばかり嬉しくなりました。
今年の3月まで工場で部長として活躍した若手のエースだった人は、去る5月に脳梗塞となりリハビリ中のため参加できないという報告を聞きました。
わたしは退職後、会社関係の人達との交流を積極的には行っていません。
残り少ない人生で、過ぎ去った過去の話を蒸し返して思い出話をする時間があるなら、地域でのボランティア活動を通して地域に恩返しをした方が有意義だと考えるからです。
OB会の会場は、新宿区にある「目白クラブ」。
ここは華族子弟の学校として設立された学習院高等科寄宿舎だったところ。
寮生の個性と人格を尊重し信頼するイギリスの寮制度、上流階級の指定校として名高いイートン校を範として高い理想で1929年に建築されたモダンな建物です。
寮生たちは若きジェントルマンとして扱われ、飲酒・喫煙も黙認され食堂には立派なバーカウンターが設けられているほどです。
1952年に会社が譲り受け、社員の福利厚生施設として利用されています。
建物・構内はほとんど往時のままに守られていて、ドアノブには、高貴な菊の模様が彫り込まれている格調の高さ。
結婚式場としても使われており、わたしはここで同僚二人の結婚式司会を務めた懐かしいところでもあります。
目白クラブは、東京都景観条例に基づく「東京都選定歴史的建造物」にも選ばれている由緒正しき建物です。
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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