わたし達は現代社会に生きています。
縄文時代でもなし、アフリカのジャングルの奥深いところに住む人間でもなし、いろいろな決まりごとのの中でそれを順守して生きています。
その決まり事と生身の人間の営みの中で生まれる出来事や過ちをどう解釈するか?
わたし達は現代社会に生きています。
縄文時代でもなし、アフリカのジャングルの奥深いところに住む人間でもなし、いろいろな決まりごとのの中でそれを順守して生きています。
その決まり事と生身の人間の営みの中で生まれる出来事や過ちをどう解釈するか?
わたしは 人間は所詮、人間であり、神でもなければ佛でもない。
日々の生活の中で悩みながら時には過ちを犯すかもしれないがその時々を、精いっぱい生きている存在だと考えます。
人間は罪を犯す存在であることをはじめから認め、犯した罪を自覚したら神に許しを願って犯した罪意識を軽くする宗教があるくらいで、人間は絶対的な存在ではありません。
それが故に、それを取り上げた小説があり、芝居があり、歌劇があり、映画があって人生を面白いものにしています。
悩み、苦しみ、葛藤を続けるのが生身の人間の姿では?
この世から解脱した宗教人であっても、生きている限り、悩みや苦しみがあるのでは?
(出典:朝日新聞朝刊 2012.05.26 『悩みのるつぼ 「婚外恋愛」はごまかし言葉』)
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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