明治5年学制発布前には、黒川の上(かみ)に『市川塾』が開かれており、明治6年に『黒川学舎』が誕生。
大正15年に現在の黒川青少年野外活動センターがある地に、「黒川分教場」が移り、昭和16年には川崎市柿生国民学校黒川分教場、昭和22年に川崎市立柿生小学校黒川分校となり、昭和57年に川崎市立柿生小学校黒川分校は閉校された。
(写真:クリック拡大可)
明治5年学制発布前には、黒川の上(かみ)に『市川塾』が開かれており、明治6年に『黒川学舎』が誕生。
大正15年に現在の黒川青少年野外活動センターがある地に、「黒川分教場」が移り、昭和16年には川崎市柿生国民学校黒川分教場、昭和22年に川崎市立柿生小学校黒川分校となり、昭和57年に川崎市立柿生小学校黒川分校は閉校された。
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ブログ管理人のわたしも小学校1年から6年まで6年間川崎市立柿生小学校黒川分校に通ったので、学び舎があった場所にある黒川青少年野外活動センターへは、自然と足が向く。
60数年前に黒川分校の1年生として一面の桜に迎えられて入学したことをよく覚えている。
齢はとっても春が来れば懐かしの学び舎があった黒川青少年野外活動センターの桜を見たいという欲求に駆られてくる。
(写真:黒川青少年野外活動センターに咲く満開の桜…平成24年4月8日撮影)
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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