2012年02月24日

笠間稲荷神社を参拝

キツネ0
JAセレサ川崎果樹部柿生支部視察研修会
の行程に、笠間稲荷神社が組まれており、生まれて初めて参拝しました。

笠間稲荷についてはよく耳にしていたが、今回の参拝で思いを叶えることができました。
笠間稲荷日本三大稲荷の一つと言われています。
残りの二つは、お稲荷さんの総本山と言われている京都の伏見稲荷と佐賀県にある祐徳神社という説が一般的ですが、地域により おらが稲荷も三代稲荷の一つというところがあり、明確ではないようです。(例えば豊川稲荷?)


わたしの印象から一言でいえば、笠間稲荷は思っていたほど大きくはなく、しかもロケーションは平地の街中にある神社という趣でした。

参道には石で造られた表情豊かなキツネ様の手招きをした像が多く鎮座しており、お稲荷様の参道だということがわかります。


笠間稲荷1























キツネ2

また参道の門前商店街には、大小のお稲荷さんの家(祠・ほこら)が売られています。

黒川の農家の庭先にも、庭屋敷を守る神さまとしてお稲荷様の祠(ほこら)を祀り(まつり)二月三日の初午には油揚げを献上してお祭りをしている家が多くあります。

わたしの家でも昔は近所の家と共同でお稲荷様の祠を持ち、維持していました。

現役時代に勤めていた工場敷地にも、正門玄関わきに堂々としたお稲荷様が祀られていました。


笠間稲荷神社の御祭神は、「『宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)』で、わたし達の大切な生命の根源を祀り給う「いのち」の根の神様」であると社務所でいただいた資料にありました。

生命の根源を司る「いのち」の根の神として農業、工業、商業、水産業など、あらゆる殖産興業の守護神として人々の生活すべてに御神徳を授けて下さる神さま。

日本の神話が書かれている『古事記』によると、宇迦之御魂神は須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売神(かむおおいちひめのかみ)の間の御子とされています。

 

農牧、水産、養蚕を始めあらゆる殖産興業の神蘇生(よみがえり)の神生成発展の神産霊(むすび)の神火防の神として霊験あらたかな御神徳が普く全国の人々より崇敬されています。

資料によれば「笠間稲荷神社」のサブタイトルに「胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)」とあり、写真にもあるように参道入口、左側の石柱には「胡桃下稲荷神社」と刻まれています。
往古、この地には胡桃(くるみ)の密林があり、そこに稲荷大神さまがお祀りされていたことから、「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)とも呼ばれています。


ご創建は651年、ご本殿は江戸末期 安政・万延年間(1854〜1860)とのことで、国の重要文化財に指定されている由。


さざれ石





境内に、日本の国歌「君が代の中に出てくる「さざれ石」が展示されていました。

帰りがけに、ご朱印をいただいてきました。







<参考:キツネとお稲荷さん>
いっぱんに「お稲荷さん」と言えばキツネをイメージされる方が多いようです。
キツネはあくまで稲荷大神のお使いであって、神さまそのものではありません。
稲荷大神にとってキツネは、熊野神社のカラスや八幡神社のハト、氏神さまの狛犬などと同じように「神使(かみのつかい)」「眷属(けんぞく)」などと呼ばれ、神さまのお使いをする霊獣です。

 
これは中世の時代に、人間が持っている様々な欲望を直接神さまに祈願するのは畏れ多いとして、特別に選ばれた動物を通してお願いすることが行われたことによるものです。

 

キツネがお使いとして選ばれたのは、稲荷大神が農業神であることと深く結びついています。

民俗学者の柳田國男も指摘しているように、日本人には古くから神道の原形として「山の神、田の神」の信仰があります。
これは春になると山の神が山から里へ降り、田の神となって稲の生育を守護し、収穫が終えた秋に山へ帰って、山の神となるという信仰です。

 

キツネも農事の始まる初午の頃から収穫の終わる秋まで人里に姿を見せていて、田の神が山へ帰られる頃に山へ戻ります。

このように神道の原形である「田の神、山の神」と同じ時期に姿を見せるキツネの行動から、キツネが神使とされるようになりました。
   (この項:笠間稲荷のホームページから引用)