2012年01月09日

平成24年の「せいの神」建立

だるまの数々_edited-1




今年も川崎市では最大級と目される立派な「せいの神」(どんど焼き)が、黒川に二基 建立された。
黒川 上(かみ)地区は、橋場の田んぼに、中(なか)・下(しも)地区は、東(あずま)営農団地にそれぞれ建立された。

松が明け、七草粥の日である1月7日が、黒川では「せいの神」を建てる日と決まっているが、今年は8日(日)に行われた。

昔は、「せえの神」と訛って呼んでいた。わたしは「せえの神」と言った方が親しみを感じる。)


中学2年生の大将は、旧制中学では最上級生であった名残から今でも中学2年生が「せいの神建立の総指揮をとる。

8日の早朝から中学2年生を大将とし、小学1年生からの子供たちが、お正月で使った門松(かどまつ)、お飾りなどを回収して集め、それを使って「せいの神」を作り上げるのだ。

せいの神」は、黒川地域の重要なお正月の風物詩。

12m前後の高さを誇る黒川の「せいの神」を子供たちだけでは立てられない。

汁守神社役員・関係者、黒川町内会役員・関係者、黒川子供会等多くの関係者が集い力を合わせて作業を行って初めて「せいの神」が建立するのだ。

一部他地域で行われているような お正月のお飾りを一か所に集めて火をつけるような簡易な「どんど焼き」ではない。


そして無事に建立されると、各家々を廻って「お神酒銭(おみきせん)くんなー」という掛け声で、小銭やみかんなどを集める。

そして大将が作業に従事した子供たちの人数・学年を考慮して、一人一人に小銭(労賃)を分け与える習わしがある。

    (写真:黒川 上(かみ)地区の「せいの神」(橋場の田んぼ))

製作中のせいの神(上)上のせいの神







(左:上地区のせいの神建立風景、右:完成した上地区のせいの神)















中 下のせいの神1 











点火
は、毎年14日の夕方5時と決まっていたが、黒川住民の多くが農家からサラリーマンになる人が増えたため平日だと参加が難しいなどの理由により、日曜日か祝日に行われるようになった。
今年は14日(土)の、午後5時点火予定と決まった。

 

(中・下地区の完成した せいの神)










中 下のせいの神2



都市化が進んだ街では、住宅が密集しており、裸火を扱う「せいの神」を行う場所の確保が難しくなっている。

幸いにも黒川には二か所の最適な場所があり、土地所有者の理解があるため、何とか続けられるのは有難い。

また正月用の門松(昔は本当の松の杭、右が男松(クロマツ)、左が女松(アカマツ)を使って建てた。)を建てる家がほとんどなくなり、「せいの神」の素材が集まらないため、「せいの神」の芯材が少なく、火持ちが昔と比べてよくない。

(はるひ野の開発等により山林が無くなったためなどの理由による。)

 


黒川で昔から行われてきたせいの神」(せえの神)黒川の正月の風物詩として、今まで絶えることなく続いており、これからも黒川の子供たちによって、この風習が続いていくことを願う。

     (写真:黒川 中(なか)・下(しも)地区の「せいの神」(東(あずま)営農団地))
    
    (参考: 「せいの神」建立の様子 2008)






鳥居とお賽銭箱


黒川地区生まれの子供たちの 生まれ故郷・黒川への帰属意識を育てるためにも、是非、せいの神の清らかな火に当たり、昔ながらの団子焼きを行ってください。
 
(左写真:中(なか)、下(しも)地区のせいの神は、竹で作った鳥居とお神酒銭箱がユニーク)   









(参考:一昨年の せいの神 点火! )



燃え上がる250団子を焼く2250













点火状況を確認する大将役を務めた女子中学生


Posted by tomato1111 at 00:05