2011年01月09日

平成23年の「せいの神」建立

下どんど2

今年も川崎市では最大級と目される立派なせいの神」(どんど焼き)が、黒川に二基 建立された。

黒川 上(かみ)地区は、橋場の田んぼに、中(なか)・下(しも)地区は、東(あずま)営農団地にそれぞれ建立された。

松が明け、七草粥の日である1月7日が、黒川では「せいの神」を建てる日と決まっている。

昔は、「せえの神」と訛って呼んでいた。わたしは「せえの神」と言った方が親しみを感じる。)


上どんど2





7日の早朝から中学2年生を大将とし、小学1年生からの子供たちが、お正月で使った門松(かどまつ)、お飾りなどを回収して集め、それを使って「せいの神」を作り上げるのだ。

中学2年生の大将は、旧制中学では最上級生であった名残から今でも中学2年生が「せいの神」建立の総指揮をとる。

そして無事に建立されると、各家々を廻って「お神酒銭(おみきせん)くんなー」という掛け声で、小銭やみかんなどを集める。

そして大将が作業に従事した子供たちの人数・学年を考慮して、一人一人に小銭(労賃)を分け与える習わしがある。

    (写真:黒川 上(かみ)地区の「せいの神」(橋場の田んぼ))








下どんど4
 

点火は、毎年14日の夕方5時と決まっていたが、黒川住民の多くが農家からサラリーマンになる人が増えたため平日だと参加が難しいなどの理由により、日曜日か祝日に行われるようになり、今年は10日(月)の成人の日、午後5時点火予定と決まった。

 

都市化が進んだ街では、住宅が密集しており、裸火を扱う「せいの神」を行う場所の確保が難しくなっている。

幸いにも黒川には二か所の最適な場所があり、土地所有者の理解があるため、何とか続けられるのは有難い。

また正月用の門松(昔は本当の松の杭、右が男松(クロマツ)、左が女松(アカマツ)を使って建てた。)を建てる家がほとんどなくなり、「せいの神」の素材が集まらないため、「せいの神」の芯材が少なく、火持ちが昔と比べてよくない。

(はるひ野の開発等により山林が無くなったためなどの理由による。)

 

黒川で昔から行われてきたせいの神」(せえの神)黒川の正月の風物詩として、今まで絶えることなく続いており、これからも黒川の子供たちによって、この風習が続いていくことを願う。

     (写真:黒川 中(なか)・下(しも)地区の「せいの神」(東(あずま)営農団地))
    
    (参考: 「せいの神」建立の様子 2008)




黒川地区生まれの子供たちの 生まれ故郷・黒川への帰属意識を育てるためにも、是非、せいの神の清らかな火に当たり、昔ながらの団子焼きを行ってください。
    (参考:昨年の せいの神 点火! )

燃え上がる250団子を焼く2250















点火状況を確認する大将役を務めた女子中学生