坐禅は、無の世界に浸ること。
思考を停止して、何も考えない、頭に浮かぶこともありのままにして、続きを追わない。
最近始めたウォーキングの時も、ただひたすら歩いている。
最終的には健康維持という目的があるが、歩いている時はひたすら歩いている。
誰からも束縛されず、早朝の爽やかな小道をひたすら歩いている。
坐禅は、無の世界に浸ること。
思考を停止して、何も考えない、頭に浮かぶこともありのままにして、続きを追わない。
最近始めたウォーキングの時も、ただひたすら歩いている。
最終的には健康維持という目的があるが、歩いている時はひたすら歩いている。
誰からも束縛されず、早朝の爽やかな小道をひたすら歩いている。
足を交互に出すという意識もなく、ただひたすら歩いている。
ふと これは、歩行の形態をとっているが、坐禅と同じような歩行禅ではないかと考えるようになった。
足を組んで坐する坐禅、椅子に座って行う椅子禅、立ったままで行う立禅があるので、歩行禅があっても良いのではないか。
歩行禅を意識せず、利益を求めずに歩く。
何も身に付かない。
しかし気が付くことがある。
そして健康的になる。
それだけのこと。
そしてそういった細かい気付きが実にありがたいことだと、私は思う。
誰にも束縛されず、自分にとって無理のない、自然な状態・ペースでひたすら歩こう。
明日もまた、何も求めずに、ただひたすら歩こう。
<椅子禅の思い出>
金沢にある曹洞宗 東香山 大乘寺(とうこうざん だいじょうじ)(ご開山は、福井県の曹洞宗大本山永平寺の第三代・徹通義介禅師(てつつうぎかいぜんじ)を、現役時代 金沢出張の折にお参りした時です。
大乘寺は、永平寺、總持寺の両大本山とも特別の由緒をもち七百年の歴史がある古刹です。
そして禅のきびしい修行道場として世にその名を高め、現在も、大乗寺専門僧堂を運営していることで知られています。
そこで僧侶と座禅談義をしていたら、「あまり知られていないが、椅子禅がある。」と言われ写真入り解説書をいただいたことがあります。
座禅と言うと 慣れない結跏趺坐(けっかふざ)に戸惑いを感じる時がありますが、椅子に座って精神を統一する椅子禅に新鮮な感覚があったことを覚えています。
(参考:座禅入門)
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
このBlogを チェッカーズに追加 |
このBlogを リーダーに追加 |