原爆投下から64年を迎えた長崎「原爆の日」の9日。
この日に、平成16年3月に川崎市から「黒川海道(かいどう)特別緑地保全地区」(川崎市麻生区黒川1402ほか)に指定された面積約2.1haの休耕田(昭和41年から43年間休耕していた)の整備作業を行った。
ここは多摩川水系三沢川の最上流部に位置する深い谷戸で、かっては24枚の水田があった場所。
原爆投下から64年を迎えた長崎「原爆の日」の9日。
この日に、平成16年3月に川崎市から「黒川海道(かいどう)特別緑地保全地区」(川崎市麻生区黒川1402ほか)に指定された面積約2.1haの休耕田(昭和41年から43年間休耕していた)の整備作業を行った。
ここは多摩川水系三沢川の最上流部に位置する深い谷戸で、かっては24枚の水田があった場所。
川崎市環境局緑政部緑政課から委託を受けた「黒川生産支部」「黒川はるひ野管理組合」「黒川農業観光振興協会」のメンバー34名(当日参加者)が、作業を実施。
各自が所有するエンジン式刈り払い機(草刈り機)、エンジン式チェンソー(エンジン式のこぎり)、鉈(なた)、鎌(かま)、万能くわ(まんのうくわ)などを持参し、日頃培った農作業での技術を生かして安全第一で伐採、刈り取りを行った。
43年もの間、人の手が入らなくなり自然に回帰してしまったため低木の灌木や葦(アシ)、篠竹や雑草が背の高さ2m以上も繁茂しているミニジャングルのような場所。
かって水田だった場所のため、場所によっては30cmの長靴がズブズブと土の中に潜り込んで靴の中に汚泥が入り込み、そこでの機械を操作しての作業がなかなかはかどらないような状況。
いずれは時間をかけてこの場所を整備し、川崎市民が憩えるようなため池やビオトープ、たんぼ、休憩施設などに開放されることを期待したい。
そのためには、この地に人が安全に入れるように今後も継続して、地盤整備、環境整備を行わねばならず、黒川地区の自然・緑を愛する地元のわたしたち「黒川生産支部」「黒川はるひ野管理組合」「黒川観光振興協会」が、積極的に協力していきたい。
(写真:作業がほぼ終わった里田風景)
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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