「NHK総合TVドラマスペシャル 白州次郎」をご覧になりましたか?
1時間半の3回シリーズ番組で、2月28日(土)、3月7日(土)の夜放映、3回目は放送日の発表がないが今年の夏ごろと聞く。
昭和18年(満41歳)、諸外国の事情をよく知っていた白洲次郎は、第二次大戦で日本の敗戦を予知し、被災を免れるため南多摩郡鶴川村に藁葺屋根の農家を買い一家で転居。
その白洲次郎が住んでいた農家が、武相荘(ぶあいそう)として一般公開されている。
「NHK総合TVドラマスペシャル 白州次郎」をご覧になりましたか?
1時間半の3回シリーズ番組で、2月28日(土)、3月7日(土)の夜放映、3回目は放送日の発表がないが今年の夏ごろと聞く。
昭和18年(満41歳)、諸外国の事情をよく知っていた白洲次郎は、第二次大戦で日本の敗戦を予知し、被災を免れるため南多摩郡鶴川村に藁葺屋根の農家を買い一家で転居。
その白洲次郎が住んでいた農家が、武相荘(ぶあいそう)として一般公開されている。
白洲次郎は「カントリー ジェントルマン」と評され、敗戦後の日本を代表して堂々とマッカーサーとやりあい、日本国憲法草案作成に立ち会った実力者。
『従順ならざる唯一の日本人』と言わしめ、プリンシプル(principle)とおのれの良心に従って生きた。
英国仕込みのダンディズムとセクシーで甘い顔の白州次郎は、男も惚れるようないい男。
かってわたしの大学の友人から「お前の近くにある武相荘へは、どのようにして行けば良いか」と聞かれてその場所も知らず恥ずかしかった思いがあり、平成18年5月に訪れたことがある。
今回TVドラマを見て思いを新たにして、武相荘を訪れた。
ちょうど3月4日から5月24日まで、『武相荘―春〜次郎と正子の暮らし』展という企画展が始まったばかりだった。
朝の10時過ぎに行ったのだが、用意されている専用の5台駐車可能な駐車場も1台のスペースを残すのみ。
クラブツーリズムの団体客を乗せた大型バスが、到着して中高年の観光客がゾッと降りてきて武相荘に向かう。
いつ来てもたたずまいが端正な長屋門が我々を迎えてくれる。
赤白の梅の花や椿の花がひっそりと咲き、和風の落ち着いた庭に面した藁葺の母屋。
今回行って屋根のカヤが葺き替えられていたのに驚く。前の屋根は痛んでみすぼらしかったのだが。
母屋の中に入る。
土間には当時の食事が再現されている。使われている食器は、由緒ある焼き物。
囲炉裏部屋には、福沢諭吉の書になる額が掲げられ白洲家の人的交流の深さが推し量られる。
また土間からギャラリーに通じる通路の上には、近衛内閣司法大臣 風見 章氏による「武相荘」の額(タイトル写真参照)が掲げられている。
周囲をびっしりと書籍で囲まれた書斎の机の前には、可憐な藪椿の花が咲いているのが望まれ風情がある。
雛祭りの時期でもあり、正子の実家 樺山家から贈られた大変立派な京都の工匠が制作したお内裏様が飾られていた。
気に入った言葉に、正子のモットーであった次のようなものがあった。
『わたしは過去を振り返るのが嫌い』
ともすれば何かの折に 口に出てくる昔の失敗やいやなことを、口にせず、常に 今、生きている目の前のことを大事にする姿勢に感銘を受けた。
ぐうたら百姓のはしくれの自分は、第二ギャラリーの1階に置かれていた当時の農機具に目が行った。
横文字で書かれた外国製のエンジン式草刈り機やトラクター。またボディが木製のネコ車もおかれていた。
白洲次郎氏は、カントリージェントルマン(Country Gentleman)、わたしはカントリーファーマー(Country Farmer) (田舎ぐうたら百姓)だ。
今夏に予定されている「NHKの第3回ドラマスペシャル白州次郎」が楽しみだ。
武相荘の間取図。
典型的なこの地域の藁葺農家の間取。
わたしが生まれた家の間取りも、これに類似していた。
(参考:NHK「その時歴史は動いた」マッカーサーを叱った男…白州次郎のコラム) H18/6/8付け記事 旧白洲邸 武相荘の中にあり
(参考:旧白州邸 武相荘 公式ホームページ)
(両人の顔写真は、入館時に配布された資料から引用)
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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