西ドイツに駐在していた現役時代に、ドイツ人の友人に誘われてヨーロッパ、とりわけドイツ製のクラシックカメラを収集していた。
デジカメ全盛時代の今は、日本メーカーのカメラが世界を席捲しているが今から100年前、19世紀後半・20世紀はじめはメカニカル式カメラが主流で、ドイツ製のカメラがその中心だった。
その後、日本メーカーが電気式露出計を発明して、ドイツから日本にカメラの主流が移ってきたが。
西ドイツに駐在していた現役時代に、ドイツ人の友人に誘われてヨーロッパ、とりわけドイツ製のクラシックカメラを収集していた。
デジカメ全盛時代の今は、日本メーカーのカメラが世界を席捲しているが今から100年前、19世紀後半・20世紀はじめはメカニカル式カメラが主流で、ドイツ製のカメラがその中心だった。
その後、日本メーカーが電気式露出計を発明して、ドイツから日本にカメラの主流が移ってきたが。
幸いにもドイツの街には、クラシックカメラを扱っている専門店がひっそりと営業している。
またマニアを対象にしたマーケットが各地で開かれており、友人に導きを受けて、お小遣いの範囲でクラシックカメラの収集を行った。
まだ整理が済んでいないが、ダンボールの中には30台以上のクラシックカメラを所有しているはずだ。久し振りにダンボールを開けて目に付いたカメラを取り出して、リビングの飾り棚に15台近く展示をした。
クラシックカメラの図鑑や雑誌(独語版)も多く集めたが、残念ながらこれらの資料が紛失しており残念なことに、個々のカメラの詳細な情報(会社・生産台数・機能・特長等)が分からないのがおも歯がゆい。
帰国後はイギリスにあるクラシックカメラ扱い専門店の通販も活用した。
またイギリスへ出張したり観光で行った時は、半日をつぶしてロンドン郊外のその店を訪ねて、掘り出し物を探すのが楽しみだった。
この写真のモデルは、恐らく100年以上前・20世紀前半のドイツ フォクトレンダー社製の蛇腹式カメラ(スプリングカメラ)だ。本体には型式の記載が無い。
フォクトレンダー社は、カールツアイス社が出現する前の大手カメラメーカーだった。
リビングで部屋の照明を落とし、ドイツワインを傾けながら、このカメラを手に取っていると、ドイツ人の精密加工技術の素晴らしさ、一世を風靡したカメラの持つ魅力に、当時のドイツに思いを馳せる至福の時間となる。
更に偉大なオペラ作曲家 ワーグナーのドイツ・ロマン派の作品 タンホイザーやローエングリンの曲が流れていれば、文句なしの世界だ。
(左の写真:レンズと蛇腹を本体に押込んだ状態。)
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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