川崎市麻生区はるひ野と多摩ニュータウンの境にある尾根筋は、「よこやまの道」と呼ばれています。
「よこやまの道」は古代から武蔵野と相模野の双方を眺められる高台として、また、西国と東国を結ぶさまざまな交通の要衝として活用されてきました。
川崎市麻生区はるひ野と多摩ニュータウンの境にある尾根筋は、「よこやまの道」と呼ばれています。
「よこやまの道」は古代から武蔵野と相模野の双方を眺められる高台として、また、西国と東国を結ぶさまざまな交通の要衝として活用されてきました。

その「よこやまの道」と名付けられた由来は、都市機構の資料によりますと、万葉集の中にある歌にあります。
『赤駒(あかごま)を山野(やまの)に放し(はがし)捕り(とり)かにて 多摩の横山徒歩(かし)ゆか遣らむ(やらむ)』
その意味は「赤駒を山野の中に放牧して捕らえられず、夫に多摩の横山を歩かせてしまうのだろうか」という、防人(さきもり)の妻の心づくしの歌です。

東国から遠く北九州での国防の兵役につく防人は、再び故郷の土を踏むことは殆んどありませんでした。武蔵野を眺望できる横山の尾根道で故郷を振り返りながら、家族との別れを惜しんだ防人の姿が浮かんできます。
『よこやまの道』は、この万葉集の「横山」から名付けられました。
(引用:「多摩 よこやまの道」パンフレット/UR都市機構・多摩市)
(本文章は、UR都市機構 東日本支社 ニュータウン事業部の校閲・承認を受けています。)
このような歌が詠まれた万葉集の時代とは、西暦780年ごろのことで今からおよそ1230年前のことです。
奈良東大寺の大仏が完成し、開眼供養が行われたのが西暦752年(天平勝宝4年)
(「やさしい川崎の歴史」 小塚光治編 川崎歴史研究会)
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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