2011年02月22日

リビアへの入出国手続き

砂漠

チュニジアに端を発した民主化デモが、中東各地に波及している。

この数日はリビアの民主化市民デモの状況がマスコミを賑わしている。

わたしの現役時代の海外出張では、リビアの思い出が最も強烈だ。

カダフィ大佐と年齢が近いこともあり、また強烈な個性を持つリビアは常識とは異なる社会で、何もかも印象的だった。

リビアの出張場所は、デモが伝えられているリビアの第二の都市・ベンガジ

  (リビアの首都トリポリにもベンガジから陸路で数回行った。)
デモで映るベンガジ街の建物を懐かしく思うが、そこで数多くの死傷者が出ていることに心を痛めている。


今から25年以上前のサラリーマン時代のお話。
厳格なイスラム教を掲げているリビア
1969年、クーデターでリビアを治めたのが27歳の青年将校 カダフィ大佐
観光という産業が一切なかったリビアに入国するためには、リビア政府の発行した招聘状(invitation letterが無ければならなかった。
あるつてでようやく手に入れた招聘状で、パスポートに入国ビザを発行してもらい、イタリアのミラノ空港からリビアの二番目に大きな都市、ベンガジに向う国営リビヤ航空の機内で入国カードが配られた。

 

リビアカードを見て目を疑った。

カードを裏返してもすべてあのアラビア語で書かれており、非才なわたしは残念ながらリビア語・アラビア語を読むことができないし、書くこともできない。

海外出張で初めての経験だった。

 

しばし考えていたがこれに記入しなければ、入国ができないので、ステュワーデスを呼んで、記入を依頼した。彼女は当然、わたしの話す英語を理解することができた。

 

 

入国の目的、滞在するホテル名、現地の連絡先等を説明して書いてもらった。

ついでにわたしの名前をアラビア語で書いてもらった。記念のために。

お礼に彼女にパーカーのボールペンを差し上げた。

 

ことほど左様に、リビアカダフィ大佐は、アラブの国・イスラム教・アラビア語を大事にしており、外国語を認めていなかったのだ。

 

11月15日付日経新聞夕刊を見ていたら、また外国人旅券にはアラビア語訳を11月11日から義務付けされたという。

 

世界の中には、いろいろな国があるということ。