2007年08月30日

真夏の坐禅会

8月の猛暑の夕べ、曹洞宗 西光寺(川崎・黒川)の本堂で開かれた坐禅会に参加しました。


本堂に集まったものは靴下を脱ぎ、時計を外してゆったりした服装で形を整え、西光寺の住職の指導の下で、先ず般若心経をあげたあと、本堂のお釈迦様に手を合わせて感謝いたします。

 

座禅中そして坐布(ざぶ:尻の下に敷く丸い座布団のようなもの)を坐骨の下において足を組みひたすらに坐禅を行います。時間はお線香一本が燃え尽きる時間のおよそ30−45分間。休憩を挟んでさらに30−45分間の坐禅を行います。

 

坐禅の目的は、坐禅をすることです

 

仏の姿を真似る、坐禅をすることが目的で、心を落ち着けたいとか、雑念を取り除きたいとか、悟りの境地を経験したいとか そのような目的は一切持たず、ただひたすら坐っているだけです。

 

これは、曹洞宗の開祖 道元の説く「只管打坐」(しかんたざ:ただひたすらに坐することが仏法の実践であるという教え)によるものです。

坐っていて考えない、浮かんだ考えを追わない、坐っていることも意識しないでただひたすら坐ります。

 

座禅会ケイサク身、息、心を一体にして坐禅になるのです。身、息、心が安定し調和が取れた状態がポイントです。正しい姿勢、呼吸法、心のあり方が一体になってはじめて座ったことになります。

 

10人近い参禅者が本堂で坐禅を行いますが、静まり返っていて、本堂の中はまるで誰もいないのと同じです。

 

誰一人として声を出さず、不必要な体の動きが無く、頭も動かず、シーンと静まり返っています。

 

夏の暑い日の夕刻、お寺の外ではヒグラシゼミの声が聞こえます。

照明が消された本堂の中は、夜の7時にもなると暗くなります。外の街灯の光が、ガラス窓を通して本堂の中を薄暗く照らしています。

暗い本堂の中でも眼は薄く開けて、前方3mくらい前を無意識で見ています。

頭の中では、いろいろな出来事が浮かんでは消え、浮かんでは消えていきます。

坐禅の心得として、坐禅中に浮かんだ事柄は深追いせず、そのままにしておくようにと指導を受けています。

日常生活では経験できない不思議な時間が過ぎ去っていきます。

 

坐禅中に眠くなったり、雑念がわいて座禅に集中できないときは、住職に警策(こん棒のような板)で、肩を打ってもらいます。合掌し低頭して打ってもらい、受けた後も合掌低頭して坐禅に戻ります。

 

わたしも西光寺のご住職のご指導により、坐禅を始めて6年以上たちますが、坐禅はわたしの生活の一部になっていて、本堂で過ごす坐禅の時間はわたしの人生の中で重要な位置を占めています。

 

生死事大 無常迅速 光陰可惜 時不待人

生死は逃れられない すべてはすぐにうつろう 一瞬を惜しんで行にはげめ 時は人を待ってはくれない

 

(参考:曹洞宗 西光寺 川崎のホームページ