わたしを含め 参加者の年齢を考慮してゆったり、のんびりの旅行だった。
先ずJALで高松空港へ飛び、「栗林公園」へ。飛來峰からみた「南湖」風景
四国75番札所「善通寺」をお参り。
そして「金比羅山(こんぴらさん)」へ。
金比羅本宮
金比羅伯。
宿泊したホテルには、温泉が引かれていた。
翌日は、バスで「大歩危(おおぼけ)」、「小歩危(こぼけ)」から「かずら橋」へ。
山に自生するツタをつないで架け橋にしたものが「かずら橋」だ。
今回は橋のからくりをよく見たところ、太いワイヤーが下の部分に4本使われており、それを隠すようにかずらで覆われていた。また橋の両側にもワイヤーが使われていて、かずらで隠されていた。
毎日、多くの観光客が一度に数十人とこのかずら橋を渡るのだから、安全策としてワイヤーを使うのは当然であると思うし、そうでなければ施設の構造としては許可が下りないだろうと思った。
四国51番札所「石手寺」を参拝。
大きなわらじがある山門。
宿のある「道後温泉」へ。
道後温泉では、必ず「道後温泉」へ入ることにしている。
2階の休憩室利用で浴衣借用し、茶菓の提供があって800円なり。
3階には有名な夏目漱石が利用していた角部屋6畳間を拝観することができる。
そこの床の間に、よく知られた漱石の言葉「則天去私」が掲げられていた。
これは『自己本位の考えではなく、自然の中に身を任せよう』という漱石の晩年の考えといわれる。
道後温泉の一番風呂は朝の6時。太鼓の合図で玄関が開けられる。
前回行った時は、この1番風呂を味わった。
道後温泉の「からくり時計」
(左の写真:通常時)
(右の写真:からくりが作動した時、縦方向に伸びて人形が出てくる。)
3日目は、バスで瀬戸内海をわたる「瀬戸内しまなみ海道」を通って、尾道経由で広島空港から羽田空港へ帰った。
四国はサラリーマン時代によく訪れた。
金比羅山も道後温泉にも 何回も行った。
顧客訪問・営業所への製品教育・予算実行状況の確認・受注予算会議等。
昔は飛行機利用が叶わなかったので、国鉄で岡山県の宇野駅まで行き、宇野港から四国・香川県の高松港まで「宇高連絡船」で瀬戸内海を渡っていった。
「宇高連絡船」に乗船したら何をさておき直ぐにデッキにあるうどん屋へ駆けつけて、「讃岐うどん」を食べるのが楽しみだった。国鉄が運行していた「宇高連絡船」のデッキ上で食べる「讃岐うどん」の味は格別だった。自分はこれから本州から離れて四国へ向っているのだという気持ちが盛り上がってきたものだ。「宇高連絡船」に乗船したら、行きも帰りも必ず「讃岐うどん」を食べたものだ。
四国のうどんは、うまい。TVの「加ト吉」のうどんも美味しいが、本場へ行って讃岐うどんを食べるのが良い。
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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