2007年05月16日

王禅寺 禅寺丸柿のふるさと

柿の実小田急線 柿生駅(かきお)という名前は、この辺の農家の庭(麻生区のみならず町田市・多摩市・稲城市・八王子市等)には必ず植えられている甘 禅寺丸柿(ぜんじまるがき)れたところということで、名付けられている。

柿生の地名になった禅寺丸柿の発祥の地が、「王禅寺(おうぜんじ)」というお寺。


星宿山王禅寺(せいしゅくざんおうぜんじ)」は関東の高野山といわれた古刹であり、真言宗豊山派に属する三十六の末寺をもつお寺さま。

延喜二十一年(921)に、高野山三世・無空上人によって開山され、東国鎮護の勅願寺となる。深山幽谷の禅観の地であることから、寺号を「王禅」と名付けられた。

 

星宿山

 

星宿山」の山号は、堂舎を創建したとき毎夜のように天から星が降り、光明があたり一面を照らし、里人からは「星降山(ほしくだりやま)」と呼ばれるようになり、やがて「星宿山」となったという。

 

 

王禅寺全景350鎌倉幕府が滅んだ元弘三年(1333)には、鎌倉進攻の新田義貞軍による攻撃で王禅寺は焼き尽くされている。建徳元年(1370)になり、勅命を受けた等海上人によって再興された。

 

等海上人は、戦乱で焼き尽くされた本堂を再建するため、良質な材木を求めて山中に入ったところ、赤く熟れた丸柿を発見した。この丸柿の木を寺の庭に移植したと伝えられている。

 

 

 

 

 

 

 原木450

 

 

 

 

境内には、いまでも柿の古木がのこっており、「禅寺丸之記」を刻んだ石碑と歌人・北原白秋の直筆による歌碑が建てられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

   柿生ふる 柿生の里

   名のみかは 禅寺丸柿

   山柿の赤きを 見れば

   まつぶさに 秋は闌(た)けたり

 

原木解説350寺の庭に移植された丸柿は、「王禅寺丸柿」と呼ばれて周辺の村々に広まり、その枝を接木して育てられていった。その後、「王」と「柿」が略されて「禅寺丸」と呼ばれるようになり、やがて川崎の特産物となっている。

 

新編武蔵風土記稿』によれば、「柿・禅寺丸と称して、王禅寺より出るものを尤も由とす、今はそこにもかぎらず、おしなべて此辺を産とす、村民江戸へ運びて余業とせり、その実の味すぐれて美なり」とある。

(この項は、「かわさき地名散歩 前川清治著 多摩川出版社」から引用)

 

 

 

旧王禅寺

 

旧王禅寺(現在修復中)

 

 

仁王門

 

 

仁王門(旧王禅寺に通じる)

 

 

 

 

禅寺丸即売柿生という名前は現在、小田急線『柿生駅』と言う名前と、柿生小学校・柿生中学校という学校にしか残っていないが、そのルーツはこの王禅寺の『禅寺丸』にある。

今でも深山幽谷の雰囲気を残す古刹王禅寺を、訪ねる散歩をおすすめしたい。直ぐ近くには、川崎市制六十周年を記念して誕生した総合公園「王禅寺ふるさと公園」がある。春秋の行楽のシーズンにはご家族で「王禅寺ふるさと公園」に遊びに行ったついでにでも、この古刹王禅寺を訪ねることをおすすめしたい。

 

 

 

からむし250

 

 

 

麻生区文化協会会報の表紙を飾った王禅寺の絵

(平成19年9月30日号)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所在地:川崎市麻生区王禅寺940

 

王禅寺地図