2007年03月01日

初めての海外出張の思い出

飛行機30代前半の頃、新製品の市場調査を目的にしたアメリカ出張の話があった。

専務室に呼ばれ「君を推薦したいが英語は出来るか?」と聞かれ、若さのなせる業で「出来ます。」と答えて、アメリカ出張が決まった。工場からは50代の設計部長が候補に上がっていたが、専務の「これからは若い人に海外の経験を積ませたい。」という意向により決まった。


なにせ初めての外国へ飛行機で行く、しかも単独で観光旅行ではなくレッキとしたビジネスの出張ということで、人からも羨まれると同時に責任も感じた。ただ新製品については企画部で製品企画に参画していたから、世界広しといえども新製品に関する知識は誰にも負けないという自信だけはあった。

 

初めての海外出張、しかもアメリカ、途中には太平洋に浮かぶハワイが頭に浮かんだ。あのワイキキビーチ、ダイアモンドヘッドの写真で見た風景に行ってみたい気持ちが積もってきた。

 

海外出張届けを上司に提出する時わたしは思い切ってある作戦に出た。

「課長!今回の初めての海外出張で失敗は会社の恥、日本の恥だと考える。アメリカに着いたらベストを尽くして新製品の市場調査を行いたいと考える。ついては、課長にお願いがあるのだが?」

「そのとおりだ。商社ではないメーカーである我々は、メーカー自身が市場調査を行うことが大事であり、会社は君にそれを託したのだ。お願いとは何か?」

「調べると日本とアメリカには10時間以上の時差があり、慣れない人は時差で苦しんで到着した時には頭がフル回転しないと聞く。そこでわたしのお願いとは、到着したニューヨークで直ぐにビジネスに入るために、ハワイで時差の調整をしてアメリカに乗り込みたいと考えている。」

 

「そこで課長!今回の初めてのアメリカでの海外出張を成功させるためにも、ハワイで2泊して時差の調整を行った上で、万全を期してアメリカに入国したいと考えているので、ハワイで途中ドロップすることの許可を戴きたい。」

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しばし顔をしかめていた課長は、わたしの顔を見てにっこりと笑い、

「分かった。」と一言、「しっかりと調査をしてきて欲しい。」と、許可が出た。

 

さて当時のアメリカへは日本航空だけが日本の航空会社では定期便を持っていた。会社では距離からアメリカのニューヨークへは、ビジネスクラスのティケットを与えてくれた。

早速私は当時国際線航空機関士をしていた日本航空にいる友人に電話をして、日本航空でハワイ経由ニューヨークへ行くことを説明した。そしてハワイで2泊するがこれは会社側では具体的な手配をしてくれないので、知恵が欲しいと頼んだ。

 

すると友人から連絡があり、日本からハワイまでは、日本航空がファーストクラスを提供することになった、またハワイでの宿泊ホテルは、ワイキキビーチに面した「シェラトン プリンセス カイウラニホテル」を2泊手配しておいたと言う連絡が入った。

 

彼は日本航空社内でわたしを今後の重要なレピーターとなる客であると説明したかどうか分からないが、会社から支給されたビジネスチケットをファーストクラスに変更してもらった挙句に最高級ホテルの斡旋まで受けた。

 

 

日本航空のファーストクラスで飲みなれない赤ワインで顔を赤らめているうちにハワイに到着。ハワイは会社の用事は無いので出迎えは無い。タクシーでホテルに向う。この「シェラトン プリンセス カイウラニホテル」は日本航空のパイロットやスチュワーデスが泊まるホテルでもあり、1階のロビーには日本語が分かるコンソルジェがいたので安心した。

 

わたしの部屋は17階にあるオーシャンビュー角部屋のスイートルームで、応接室、キッチン、寝室、広いバスルームなどがある素晴らしい部屋だった。わたしは部屋で早速海水パンツに着替えて、ワイキキビーチへ行き、体格の良いアメリカのお姉さんをまぶしく見ながら、自分は今憧れのハワイにいるという実感をかみしめた。

 

(お時間があり、高速回線に接続されている方は、ハワイ ワイキキビーチのライブカメラで、今のハワイをお楽しみください。ハワイの時差は、日本時間マイナス19時間です。)

 

一人寂しくホテルの部屋に戻って、ベランダに海水パンツを干し、ケンタッキーチキンの夕食を食べて日が暮れた。

このときの宿泊料が、一泊僅か18ドルだった。あまりの安さに驚き、これも友人が会社を通して根回しをしてくれていることを感じた。(当時の換算レートは、1ドルが360円。)

 

ニューヨークニューヨークのケネディ空港に到着し税関を出たら、アメリカ支社長がスティッキ代わりの傘を持って出迎えてくれていた。

 

ニューヨークの会社が指定したホテルに宿泊した翌日は、早速会社に行き、朝のミーティングの時にわたしを全員に紹介し、わたしのミッションの説明があった。そしてわたしに挨拶をするように促され、全身冷や汗をかきながら拙い英語で何とか務めることができた。

 

支社のセールスマネージャーを集めて、新製品紹介の会議を行う。

英語力は不十分だが、製品については熟知しているので、これも何とか乗り切った。

 

翌日はニューヨークにある強力な販売会社を、ニューヨークに勤務している後輩と共に訪れ、アメリカの販社の声を直接聞くことになった。わたしは後輩が全て取り仕切ってくれるものと安閑としていたところ、後輩は先方の社長に「前に連絡した新製品の調査に日本から来た男である。これから彼が説明するので聞いて欲しい。」と挨拶をしただけで、あとは後ろに引き下がり、一言もしゃべらなくなった。

 

仕方なくわたしは、慣れない拙い英語を操りながら、新製品について説明を行うと同時にアメリカでの販売についての意見を聞いた。遊びではない。日本の会社を代表して、会社の名刺を携えての出張であるので、緊張した。頭の中の血が沸騰して、カッカと熱くなっていた。

 

帰りの車の中で、後輩はわたしに向かって「よく分かりました。先輩の英語力があの程度だということが。」と、冷淡に言い放たれてひどく寂しい思いがしたが、これも当時の自分の実力であったので黙っているしかなかった。

 

このはじめての海外出張を契機にして、社内では海外での展示会、海外の支社に対する予算会議、新製品の説明会等にたびたび出るきっかけとなった。ただアメリカ出張でハワイに二泊した理由は、他のヒトの知ることではなかった。

 

昔のより良き時代の楽しかった思いでの一つだ。