2007年01月10日

食の作法と坐禅

住職100平成19年初めての西光寺坐禅会が20日()に行われた。そして久し振りに精進料理を禅の作法に則って頂く会が引き続き行われた。大寒の夕方6時に西光寺に集まった坐禅会のメンバーは、まず本堂で住職の鐘と木魚にあわせ「般若心経(はんにゃしんきょう)」を読経、そのあと暗い本堂で一柱(いっちゅう)(お線香が燃え尽きるまでの時間、およそ45分)の坐禅を行う。


本堂内は当然暖房が無く、気温はほとんど外気温に等しいため、読経を上げると白い息が混じる。そして靴下を脱いでの素足なので寒さもひとしお。何年も坐禅を行っている人たちが多いせいか、坐禅中の本堂は静寂そのもの。本堂内に多くの人が坐っているとは思われない静けさ。

 

坐禅をしている自分も、自分の存在が自分でも気がつかない。自分に肉体があって、呼吸をしているという意識も無い感じがした。これがまさに般若心経で説く「空(くう)」の一端に触れたのかと思った。

 

坐禅の後は暖房の効いた客殿に移り用意された精進料理を、曹洞宗の流儀に則った食の作法で頂いた。

 精進料理

質素な料理はお膳に載せられ、わたし達はその前に正座して、曹洞宗の僧侶が修行しているのと同じマナーを学びながら頂く。まず「五観の偈(ごかんのげ)」という食事の前に唱える五つの言葉を述べる。ごく僅かな量の植物中心の料理だが、一つづつ手に取り おしいただくので慣れない私たちには時間がかかる。間違っても茶碗を口に持っていって箸でご飯をかきこんだり、左手でご飯茶碗を持ち右手でおかずを漁るというようなことはない。

 

そして食べることの作法のほかに、食事をいただく心を学んだ。

 

「『働くために食うか、食うために働くか』。食うために働くということでは、動物並みの人間。我々は何らかの使命のために命をつなぐ。そのために食べなければならぬ」これは沢木興道老師の言葉。

 

今回の食の作法でも西光寺の住職は、「わたし達が今生きているのは、食事を頂いているため。その食事には限りない生命の犠牲がある。わたし達が口にする生命の犠牲に対して『生命をいただきます、命をいただきます』と心からの感謝と懺悔(ざんげ)の合掌を捧げたい」と説かれた。

 

さらに「限りない生命の犠牲をいただいたのに相応しい使命が達成できたか、使命を達成するのに必要以上の生命の犠牲をいただいてはいないだろうか」と飽食に対しての考えも示された。

 

毎日の食事をいただくときに、生かされているわたしに与えられた使命を考え、またわたしが生きるために犠牲になった多くの動物や植物の命に懺悔と感謝を持ち続けたい。

 

            (参考:西光寺関連記事索引