2006年12月14日

「元禄忠臣蔵 松本幸四郎」

劇場旗国立劇場開場四十周年記念歌舞伎公演として「元禄忠臣蔵」が、千代田区にある国立劇場で行われている。今月は第3部で赤穂浪士の宿願であった吉良邸討ち入りが決行されたあとから、大石最後の一日までの歌舞伎。今回は 松本幸四郎が大石内蔵助を演ずる歌舞伎「元禄忠臣蔵」を12月7日()に鑑賞した。江戸時代に起きた赤穂浪士によるあだ討ち事件に題材をとった物語で、心ふるわせ魂にとどく日本戯曲の最高峰といわれる名作。今日14日は、大石内蔵助 討ち入りの日だ。


ホール国立劇場では、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)役を、10月が第一部(中村吉右衛門)11月が第二部(坂田藤十郎)12月が第三部(松本幸四郎)で演じて、江戸城の刀傷の始まりから大石が切腹をする最後の一日までの長編を10月から12月までの3ヶ月間にわたり全編を上演している。

 

 

全景12月の第三部は、<吉良邸屋敷裏門>第一幕 吉良上野介屋敷裏門前、<泉岳寺>第二幕 芝高輪泉岳寺浅野内匠頭墓所(しばたかなわせんがくじあさのたくみのかみぼしょ)  <仙石屋敷>第三幕 仙石伯耆守屋敷玄関(せんごくほうきのかみやしきげんかん)仙石伯耆守屋敷大広間 仙石伯耆守屋敷元の玄関、<大石最後の一日>第四幕 細川屋敷下の間 細川屋敷詰番詰所 細川屋敷大書院 細川屋敷元の詰番詰所。上演時間は休憩時間を入れて、三時間四十五分。

 

松本幸四郎チラシ事件のあらましは、元禄14年(1701)3月14日、江戸城内松の廊下で赤穂藩士・浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)が、吉良上野介義央(きらこうずのすけよしなが)に突然切りつけたのがはじまり。将軍徳川綱吉が激怒し、浅野に即日切腹を命じ、赤穂浅野家は取り潰しにあう。この裁きで主君を失った大石内蔵助以下家来たちは、お咎めがなかった吉良に対するあだ討ちを計画。元禄15年12月14日深夜(15日未明)、大石をはじめ四十七人(四十七士)が吉良邸に入り、吉良を討ち取り主君浅野内匠頭長矩の無念を晴らした。

 

四十七士は、満15歳の大石内蔵助の長男 大石主税良金(ちからよしかね)から 堀部安兵衛の養父の堀部弥兵衛金丸 76歳までの幅広い年齢層であり、親子・兄弟・従兄弟・叔父・養子などの人間関係で構成されていた。

 

大石内蔵助は浅野家では筆頭家老で千五百石の石高で、切腹時の年齢は満44歳、戒名は「忠誠院刃空来浄剣居士(ちゅうせいいんにんくうじょうけんこじ)」、息子の大石主税良金の戒名は「刃上樹剣信士(にんじょうじゅけんしんじ)」。

 

参考までに 浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)の歿年齢は34歳、戒名は「冷光院殿前少府朝散大府吹毛玄利大居士(例行員でんさきのしょうふちょうさんだいふすいもうげんりだいこじ)」。

 

吉良上野介義央(きらこうずのすけよしなが)は、歿年齢61歳、戒名は「霊性寺殿実山相公大居士(れいしょうじでんじつざんしょうこうだいこじ)」。

 

大石内蔵助が切腹の場に向う前にいう台詞、細川家の御曹司に一生の宝になる言葉を問われていう台詞に「人はただ初一念(しょいちねん)を忘れるな」がある。

この言葉が、忠臣蔵のキーワードと思う。

すなわち、『ことに当たって先ず浮かぶ初一念、損得を考えずに思い立ったことには善悪の誤りは無い』ということである旨の解説がガイドブックにあった。

 

赤穂浪士が討ち入りした元禄15年12月14日深夜(15日未明)は、大雪ということになっているがこれは旧暦のことで、新暦では1月30日に相当するという竹内道敬先生(元国立音楽大学教授)の事前解説が、開演に先立って初心者のわたし達に、「伝統芸能情報館」であった。幕府からのお達しで四十七士に切腹の申しつけがあった1月30日は旧暦であり、新暦ではうぐいすが鳴く3月20日に相当する由。舞台でも、その日の幕開けはうぐいすの泣き声で始まった。

 

赤穂浪士に対して幕府の申しつけは打ち首でなく切腹を命じたということは、四十七士に対する武士としての尊厳を最大限におもんばかったものであるという先生の説明があった。武士のたしなみとして、自分のことは自分で決着をつけるのが誇りであるという考えがあり、他人に打ち首されるという不名誉よりは自分で切腹するのが武士の名誉であるという考えだそうだ。この考えは日本独特であり、外国人には理解できないだろう。

 

竹内先生はこの歌舞伎のイヤホンガイドも務めておられ、大石最後の一日のガイドは先生がなされていた。

 

わたし達の日常は、TVに映る平面の映像や、新聞や雑誌の情報に触れる機会が多い。しかし横幅22m近い巨大な舞台の上で、とてもリアルで美的な立体のセットとともに、生身の俳優さんが演ずるお芝居を見ると、目が覚める思いがする。

 

今回知ったことは、この劇場では俳優さんの声は、マイクを使っているとのことだった。聞く限り極めて自然な声で、マイクを通した声とは思ってもいなかった。日本の最高レベルの舞台音響効果なのだろう。

 

赤穂応援舞台今回も田舎芝居しか見たことがないわたしは、日本で最高の劇場で日本の威信をかけた演劇が日本語で演ずるのを10mも離れていない席で見ることに、興奮を覚える心地がした。劇場は、満員とのこと。

 

この日は播州赤穂市から、観光協会職員や一般市民からなる四十七士に扮した人たちが国立劇場前を行進していたのに遭遇した。劇場に入るとわたし達に、赤穂名産の「あら塩」と「天日 塩田産のにがり」のプレゼントがあった。

 

 

新聞記事350

 

 

 

日本経済新聞 2006.12.08(金)朝刊 窓欄に関連記事が写真入で掲載されていた。


Posted by tomato1111 at 00:05│忙中閑