わたし達は新しい街を毎日見ているとその印象が強くなり、5年前・10年前の風景でさえ、おぼろげになってくる。はるひ野地区は、かっては黒川の貴重な里山として存在していた。山のすそをうまく使い、わたし達の祖先が汗水流して開発された田んぼがあった。その田んぼでは、生活用水が入り込まない純粋な湧き水でおいしい米が作られていた。
わたし達は新しい街を毎日見ているとその印象が強くなり、5年前・10年前の風景でさえ、おぼろげになってくる。はるひ野地区は、かっては黒川の貴重な里山として存在していた。山のすそをうまく使い、わたし達の祖先が汗水流して開発された田んぼがあった。その田んぼでは、生活用水が入り込まない純粋な湧き水でおいしい米が作られていた。
耕運機とリアカーしか入らない奥の田んぼの掛け干し風景 昭和62年11月
わらボッチのある柳町(多摩線ガード付近) 平成3年2月
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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