2006年11月10日

海外出張の怖い想い出

砂漠何時までたってもリビアの購買担当者に会えず、いらだちで気持ちが高ぶっていた。ある日、遂に連絡が入り会えることになった。顧客の所までリビアでは数の少ないタクシーで乗りつけた。


顧客の守衛所にはわたしの訪問が既に連絡されていたので、パスポートを預け必要な書類にサインをし、胸に入門許可証バッジをつけて、先方VIPの秘書がわたしを迎えに来るのを守衛所で待った。

 

VIPの男の秘書が現れ、その人の後についてVIPの建物・部屋に向った。

最初のVIPとの打合せを終え、次の面会希望者の名前を告げ、その人の秘書がわたしを迎えに来るのを待った。

途中トイレに行く時も、関係者がわたしに寄り添って案内してくれた。

確か3人の関係者との打合せを終え、最初の守衛所へ戻ってきた。

 

守衛所で退出の手続きをしていて、入門時に預けられていた入門許可証バッジが無いことに気がついた。

 

ことの重大さから、カラカラになった喉の奥から搾り出すようにバッジを紛失してしまった旨を関係者に告げた。

 

あちこちに電話をして連絡を取った関係者はわたしに、「お前はこの施設に入った後、隙を見て入門許可証を第三者に渡した疑いがある。日本からこのリビアの秘密を探りにきたに違いない。」という。

続けて「お前の疑いが解けるまで、施設から一歩も外には出られないと覚悟して欲しい。リビアに知人がいたらここから電話をして、当面施設内で生活をおくるために必要なのもの、下着などを届けるように依頼しなさい。」と冷たく宣言された。

 

あー、大変なことになった。

外国人の罰則は、リビア砂漠での石油試掘作業に一生従事させられると聞いたことがあることを思い出し、震えが来た。リビアの砂漠は昼と夜とで寒暖の差が激しく、昼は40度以上、夜は零下になると聞いていた。

頭にまた血が上り、考えが纏まらず、今回の出張を悔やんだりしていた。

 

どのくらい経っただろうか、頭の血が収まって来たので、冷静に自分が施設に入門し、手続きをして関係者を回ったルートを思い出してみた。施設のゲートから関係者を巡り、元のゲートへ戻ってくるまでの間には、自分の単独行動を取る時間は無く、移動時には先方の関係者が必ず付き添って、建物から建物、部屋から部屋へ移動していたこと、トイレに行く時も関係者が同行していたことを、丁寧に守衛所の責任者に説明した。

 

それを聞いた守衛所の責任者は、わたしの申告した基地内のルートに沿って、ひとつづつ面会者と会った事実の確認、面会者の関係者がわたしを迎えに行ったことを確かめていた。

そして「お前の言うように基地内では単独行動は無かったと考えられる。しかし現実に入門許可証がないという事実があることは確かだ。」「幹部と相談の結果、お前はスパイの嫌疑がかけられることになった。しかし今日はとりあえず施設から外へ出てホテルへ戻ってよろしい。しかしリビア国内に滞在中は、お前はリビア軍の監視下にあるということを伝えるので、今後の行動には充分注意するように。」と宣告され、預けておいたパスポートを返してくれた。

 

ホテルに戻り、次回の打合せを待って過ごしていた。

ある朝、ホテルで朝食を取っている時、見たことはあるが口を利いたことが無い男がわたしに向かって「Morning, Gentleman!」と寄ってきた。

わたしも暇だったので、「Hello, Gentleman!」と返し、話し始めると宿泊していた国営ホテルのフロントマンが飛んできて、わたしに耳元で「あの男と口を聞いてはいけない。彼は某国のスパイで 国が彼を泳がしているのだ。」と忠告された。

わたしが施設で問題を起して監視下にあることを承知していて、わたしを監視する任務についているフロントマンだったのかもしれない。

某国のスパイと言われる人とわたしが口を利けば、わたしは疑うことなくリビア砂漠の石油試掘作業で一生を終えなければならないことを意味する。

 

それ以来、リビアに滞在中は、明確に素性を知っているリビア人以外とは一切口を利かず、黙りこくった貝になった。

 

いまだにあの時の入門許可証はどこに行ったのか、わたしにはわからない。施設から一歩も出ることはならない。」と言われた時は、気持ちが凍って頭が真っ白になったことを思い出す。

現役時代の忘れられない思い出の一つだ。