2006年11月07日

リビアの思い出(2)

砂漠リビアで思うように先方のVIPと会うことができなくて、元旦をリビヤ ベンガジ湾に面した国営ホテルで迎えたことがある。大晦日から日付が変わる元旦の0時。湾に停泊している客船・貨物船が一斉に汽笛を鳴らして新年を祝っているのをホテルの窓を開けて聞いた。


リビヤへ単独出張してきて既に2週間が経過しようとしていた。相変わらず出張目的が達成されずいらいらしながら、ホテルのロビーやマーケット、付近を散歩して時間をつぶしていた。

するといつもホテルの朝食時にあいさつをしている東洋系の黒い外人が、親しく声をかけてきた。

 

彼曰く「日本は今、大変な状況になっている。北の方に北海道というところがあるらしいがそこで戦争が始まったらしい。ソ連が北海道に攻めてきて、激しい戦争のようだ。お前はそれを知っているか?」と言うのである。

 

2週間近く禁欲の国リビヤに一人でいると、意識しないうちに精神状態がおかしくなっている。リビヤ国内では、酒は一切売られていないため飲めないし、TVはアラビア語の放送だけで英語の放送は入らない。一日5回、早朝から町のあちこちに設置されている拡声器で「コーラン」が流される。売店へ行ってもアラビア語の新聞・雑誌だけ。綺麗なお姉さんの水着の写真など載っていない週刊誌。日本へ電話をしようとしても当時は自動ではないので、交換手に頼まねばならず、お互いによく通じない英語では意思が通じない。情報から離れ、日本への郷愁が芽生えていて、落ち着かない精神状態のときに「日本は今、戦争状態である。お前は当分帰国できないかもしれない。」と聞かされ、疑う前に『さもありなん、北海道の上はソ連だし』と一人で納得すると同時に恐怖感が一気に沸いてきた。

背筋が寒くなると同時に、日本にいる家族の安否が心配になった。戦争状態であるという情報の確認手段がないので、ガタガタ震える始末。

 

頭へ一気に血が上って、考えることが纏まらない。ホテルの部屋に戻り、右往左往していた。しばらくして、リビアは日本と国交のある国なので、日本大使館があるはずだ。そこへ電話をして確認するのが最も正確な方法であると気づき、日本大使館へ電話をした。何かがリビヤで起きたときに身の保全をしてもらうためにと大使館の電話番号だけは、しっかりと日本を出るときにメモをしておいたのだ。

 

「もしもし、お聞きしますが今、日本は戦争が始まっているのですか?」と上ずった早口の日本語で聞くと、電話に出た男の大使館職員は落ち着いた声で「落ち着いてください。日本は何も起きておらず平穏です。」と答えた。それを聞き、ホッとして肩の力が抜けた。

 

わたしは長い間同じホテルで所在も無くぶらぶらしていたので、ホテルで声をかけてきた外人にからかわれていたのだということがわかった。酒も飲めない所で2週間も日本語、英語から遠ざかっていて、しかも日本の情報から離れていて、更に理解の出来ないアラビア語のコーランを日に5回も聞き、精神状態が不安定になるということがよく分かった。日本人が二人でもいれば別だが、たった一人で しかも日本人とは殆ど出会わないリビアでの背筋が寒くなったお話。