「月の沙漠をはるばると 旅の駱駝(らくだ)がゆきました
金と銀との鞍(くら)置いてふたつ並んでゆきました。」
ロマンチックな歌詞とメロディが、ふと頭に浮かんだ北アフリカリビア砂漠の夜。
「月の沙漠をはるばると 旅の駱駝(らくだ)がゆきました
金と銀との鞍(くら)置いてふたつ並んでゆきました。」
ロマンチックな歌詞とメロディが、ふと頭に浮かんだ北アフリカリビア砂漠の夜。
カダフィ大佐の社会主義の国・リビアでのこと。宿泊先のベンガジ(地中海に面した商業港湾都市)から、リビアの首都があるトリポリへ移動することとなった。距離はおよそ1000km。空路はリビアの飛行機の安全性に危惧したので陸路を車で移動。時は9月。リビアのエージェントが用意したドイツ車に、エージェントと運転手の3人が、昼の激烈な砂漠の暑さを逃れるため夕方の5時過ぎに、ベンガジを出発。
リビアの第二の都市 ベンガジから首都トリポリまでは、砂漠の中に舗装された道路が一本 果てしなく続いている。寒暖の差が激しく、夜は寒いくらいになる。
行けども、行けども砂漠が続いている夜の道。道路の両脇にひらける砂漠は、高さが15cmくらいの雑草が時々生えているのみで、町の明かりはおろか人家は見当たらない。
日本人の規格を持つ自分は、(膀胱も外人より小さく)途中で尿意を催した。
砂漠を運転中、運転手にその旨を告げると、「あと100km行けば街があるがどうか?」と聞いてきたが、今すぐ停めてほしいと懇願すると、停まってくれた。
慌てて車を降り、急いで道路わきの砂漠の中を場所を求めて走り出すと、エージェントが大声で「危ない!危ない!すぐ戻れ。」と叫ぶ。何事が起きたかと思い 戻ると、「砂漠の中にはたくさんの毒サソリがいるので、大変危険だ。この車のヘッドライトで照らしているから、道路の真ん中で用を済ませろ。毒サソリが来れば、ライトで分かる。」と命令された。
私は我慢できなかったので恥ずかしさもなく、ヘッドライトで照らされながら用を足した。
月明かりの中を対向車も殆ど無い砂漠の一本道をひたすら走った。
夜の砂漠、はるか彼方まで続く砂の地平線、何も見るものも無く、話題も途切れた自分は、頭上の星がどこまでもわたし達の車の上にあるのを、飽きもせず眺めていた。
車の中で、『日本にいる家族は時差が7時間なので、何をしているかなー、リビアの砂漠で見ている月と同じ月を、日本に残してきた子供達も見ているのかな・・・』などと感傷的になっていた。
ふと、自分は今、リビアの砂漠のなかで、お月様を見ている、これこそが『月の砂漠』だと思い、あの哀愁のあるロマンチックなメロディを一人口ずさんだ。
<・・・月の砂漠を はるばると旅のらくだが 行きました。金と銀との鞍(くら)置いて二つ並んで 行きました。・・・>
運転手が町についたというので車を降りたが、給油スタンドと食料を売るドライブインが3軒あっただけ。彼らにしてみれば、どこまでも続く砂漠の中で ここは車のオアシスであり、重要な街だったのだ。
今からおよそ25年前のお話。
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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