狐狸庵(こりあん)先生こと遠藤周作氏が他界してから今年の9月29日で10年とのこと。わたしの青春時代は遠藤氏にゾッコン惚れ込んで、主な著作本は読破したものだ。何が好きといっても、彼の人間性が好きだった。人間誰でも真面目な面と、少し羽目を外す面の二面性があり、それを臆することなく表に出して、人を楽しませるキャラクターが好きだった。
狐狸庵(こりあん)先生こと遠藤周作氏が他界してから今年の9月29日で10年とのこと。わたしの青春時代は遠藤氏にゾッコン惚れ込んで、主な著作本は読破したものだ。何が好きといっても、彼の人間性が好きだった。人間誰でも真面目な面と、少し羽目を外す面の二面性があり、それを臆することなく表に出して、人を楽しませるキャラクターが好きだった。
彼の著作である真面目な「海と毒薬」に始まり 隠れキリシタンのことを書いた「沈黙」、「死海のほとり」などを真剣に読んだ。大学がキリスト教系のせいもあった。
また羽目を外してお茶目な遠藤周作の面目躍如たる「狐狸庵閑話(こりあんかんわ)(こりゃ あかんわ!)」「ぐうたら人間学」なども買って、腹を抱えながら読破した思い出がある。
「狐狸庵閑話」は強い印象を与えてくれて、サラリーマンの行き詰まりで 人間がいやになったと思うような時に読むと、「これでいいんだ!何も自分ひとりで抱え込まなくても」というような気にさせてくれた思い出がある。
サラリーマン時代のある日、上司も不在だった職場でわたしは、朝日新聞社の学芸部へ電話をして「読者であるが、遠藤周作氏の自宅の電話番号を教えて欲しい?」と言うと「一寸お待ちください。お調べしますから・・・」と言って、
早速、会社の電話を使って教えられた電話番号をダイアルすると「もしもし、遠藤ですが!」と、本人が電話口に出てこられた。
わたしはまさか本人が電話に出るとは予想していなかったので少し慌てたが、「先生の読者です。先生の狐狸庵閑話に出てくる住いの場所が、(
わたしも会社からの電話で、いつ他の部署から人が来るかもしれないと言う焦りの中で、思い切って「遠藤先生!いつか玉川学園の先生の家に遊びに行きたいのですが宜しいでしょうか?」と聞いた所「ああー、いいよ。ただし今は作品の取材でイスラエル、死海から帰ってきたばかりで忙しいのでね。もう少したってから電話をくれないか!」という快い返事を聞くことができた。
その後、会社では秋の展示会シーズンに突入し、連日連夜、広告・宣伝の仕事に追われて遠藤周作先生へ電話をする余裕がなくなりそのままになってしまった。
今思えば残念至極です。先生と並んだ写真を取らしていただいたり、本にサインをいただくというチャンスを逃してしまった。
実は遠藤家に電話をしたら真っ先に「こちらは
このやり取りは、不確かですが「狐狸庵閑話」の中で遠藤先生が かのわたしの憧れの人吉永小百合の家に電話をして、同じように「もしもし、こちらは東京都環境事務所ですが、吉永さん、あなたは吉永さんですよね?お宅の汲み取り便所がそろそろ汲み取りをする時期なのですが、明日お伺いしてよろしいですかね?」と偽装電話をしてその反応を一人楽しむと言う記述があったのを覚えていて、まねをしようと考えたのだが。
いまも自分は真面目な面とお茶目な面を表に出して、楽しい人間関係ができたらいいなと考えている。遠藤周作先生のつめの垢でも・・・・・。
現在のテレビ東京、昔の東京教育テレビで、遠藤周作氏の対談番組があり興味を惹く内容だったので、テレビ会社に電話をして、オンエアした番組のコピーを欲しいと懇願したが断られたこともある。当時のVTRテープは、2インチ幅という恐ろしく幅の広いテープを使っていて、このテープを1分走らせると、特殊な再生ヘッドがXXミクロン磨耗するので駄目だ、また個人の要求にはこたえられないということだった。
アー、昭和は遠くになりにけり!
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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