2006年09月08日

黒川の教育の歴史(5)

戦争が終わり、昭和二十二年四月「学校教育法」の制定によって国民学校は再び小学校となり、名称も「川崎市立柿生小学校」となり、黒川分教場は、「川崎市立柿生小学校 黒川分校」と名称を改めました。


学校教育法により、小学校は6年間の初等教育と位置づけられ、中学校3年と共に義務教育となりました。

これに伴い黒川分校では、昭和二十三年十二月に校舎一棟三教室を新築されました。

既存の第一校舎の二教室の間仕切りを三教室用に仕切りなおし、計六教室ができました。

黒川分校全景 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和30年に、校舎の裏側に給食室が新築され、こども達の弁当持参は開放されました。

分校に水道が敷設されたのは昭和49年のことで、それまでは井戸水が使われていました。

 

<参考:「柿生の教育のあゆみ」柿生小学校本紀、「ふるさとへ」栗木台小学校>