戦争が終わり、昭和二十二年四月「学校教育法」の制定によって国民学校は再び小学校となり、名称も「
戦争が終わり、昭和二十二年四月「学校教育法」の制定によって国民学校は再び小学校となり、名称も「
学校教育法により、小学校は6年間の初等教育と位置づけられ、中学校3年と共に義務教育となりました。
これに伴い黒川分校では、昭和二十三年十二月に校舎一棟三教室を新築されました。
既存の第一校舎の二教室の間仕切りを三教室用に仕切りなおし、計六教室ができました。
昭和30年に、校舎の裏側に給食室が新築され、こども達の弁当持参は開放されました。
分校に水道が敷設されたのは昭和49年のことで、それまでは井戸水が使われていました。
<参考:「柿生の教育のあゆみ」柿生小学校本紀、「ふるさとへ」栗木台小学校>
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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