わたし達は、自分の持っている自分なりの考え方の基準・物事の物差し(スケール)で毎日の生活をおくっている。人によって異なる基準・物差しが違うためにトラブルが起こると考えられる。Aが良くて、Bが良くないというのは、本当なのか?
わたし達は、自分の持っている自分なりの考え方の基準・物事の物差し(スケール)で毎日の生活をおくっている。人によって異なる基準・物差しが違うためにトラブルが起こると考えられる。Aが良くて、Bが良くないというのは、本当なのか?
曹洞宗(そうとうしゅう)の開祖 道元禅師(どうげんぜんじ)の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」を東京大学名誉教授 森本和夫先生に解説していただく講義があり、数年前に受講した時に何度も繰りかえされていたキーワードを思い出して列挙してみたい。
「正法眼蔵」は、仏教思想史上屈指の名著といわれ、自然や人間の生死に関する道元の思想を漢文で表した全75巻と12巻からなるもの。曹洞宗の根っこの思想を格調高い漢文であらわされており、原文はおろか訳文を読んでさえわたしには理解が難しいものである。森本先生の口から1年以上を通して語られた講義のキーワードが道元禅師の思想の片鱗を会得するために有効な一便法と考えた。
森本先生は、筑摩書房から「正法眼蔵読解 全10巻」を出版されている。
こだわりはいけない。
決め付けてはいけない。
一つのことに決め付けては駄目だ。
固定化してはいけない。
とらわれてはいけない。
分け隔ては、こだわり。
上・下と分け隔ててはいけない。
前と後は、分け隔てであり、こだわりである。
自と他を区別するものではない。
是と非は、こだわり。
身と心を分け隔てするものではない。
知るということもこだわり。
余計なことを考えるな。
妄想することなかれ。
自他は表裏一体。
主体、客体ととらえるのはこだわり。
身と法は同じもの、表裏一体。
美しい、醜いはこだわり。
良い子、悪い子というのもこだわり。
随変(こだわっていない)がよい。
空っぽがよい。こだわりがないから。
これを読んで考えることは、「般若心経」のこころ、真髄のことではないかとわたしは思う。
これらはすべて凡人のわたし達が、頭の中で考えることによって生み出されることばかりで、絶対ではない。他との比較による考えであり、比較する基準は各自が自分に都合の良いものを充てていることが多い。
すなわちわたし達の物事に対するこだわり、とらわれがなせる仕業である。これを乗り越えた所にあるものが、真の姿ではないだろうか。
しかし、上記のキーワードのまるっきり反対の考えが 凡人である自分には何と多いことか。思い込み、考え違い、早とちり、他との都合の良い比較・・・・・。物事にこだわっている自分、とらわれている自分の姿。
解脱できていない平々凡々の自分、心がこだわりで満ちており、喜怒哀楽の感情に一喜一憂していて日々の生活をおくっていることか。
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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